ピョートル大帝はなぜ自ら大工になったのか|学ぶ力という国力・ロシアから学ぶ資産形成シリーズ第5話

投資・資産運用

4児のシングルファーザーとして子育てをしながら、20年大家・20年個人事業主・20年投資家として歩んできた私が、「国家から学ぶ資産形成シリーズ」のロシア編をお届けしています。今回は第5話です。第4話「ボスポラス・ダーダネルス海峡 ― 一つの通路を、なぜ何世紀も二つの国が奪い合うのか」をまだお読みでない方は、第4話と、ロシア編の全体像をまとめたロシアから学ぶ資産形成シリーズ・ハブから目を通していただくと、今回の話がより立体的に伝わるかと思います。

あらかじめお断りしておきますが、本シリーズは特定の国家・政治体制・人物を称賛したり非難したりする意図はまったくありません。あくまで「歴史上の出来事が経済構造や人の生き方にどう作用するか」を中立的に観察し、そこから投資家・生活者として何を学べるかを考える教材として書いています。記載はあくまで私個人の見解であり、最終的な投資判断はご自身の責任で行っていただくことが大前提です。今回は、ある時代の指導者が「みずから手を動かして技術を学んだ」という逸話を題材にしますが、その人物や時代の政治の是非には立ち入りません。あくまで「出口を求める国家が、そのために何を学び、どう自分を変えようとしたか」という構造に着目し、そこから「学び続ける力」という普遍的なテーマを掘り下げていきます。

皇帝が職人になった ― 欧州視察と造船技術の習得

第2話・第3話・第4話を通じて、私たちはロシアという国が「凍らない海への出口」を求めて、黒海へ、そしてその先の外洋へと関心を伸ばし続けてきた構造を見てきました。出口を求めるということは、ただ土地を手に入れればよいというものではありません。海に出るには船がいる。それも、外洋を渡れるだけの確かな船をつくる技術がいる。そして、その船を動かし、海を使いこなす知識と人材がいる。出口は、地理だけでは手に入らない。それを使いこなす「力」が、もう一段必要になるのです。

ここで歴史上、非常に印象的な逸話が残っています。ある時代のロシアの指導者は、自国の海軍や造船をどうしても近代化したいと考えました。当時のロシアは、進んだ造船技術や航海術を持つ西欧の国々に大きく遅れをとっていました。普通であれば、技術者を呼び寄せたり、書物を取り寄せたりするだけで済ませそうなものです。しかしこの指導者がとった行動は、桁外れでした。みずから身分を伏せて西欧へ渡り、造船所で一介の職人として働きながら、船をつくる技術を自分の手で覚えたと伝えられているのです。

一国を率いる立場の人物が、わざわざ異国の造船所で、木材を削り、釘を打ち、船の構造を一から学ぶ。命令する側の人間が、命令される側の現場に身を置いて、汗をかいて技術を体得する。この逸話が後世まで語り継がれてきたのは、それが当時の常識から見ても、いかに型破りな行動だったかを物語っています。地位や面子よりも、「自国に決定的に足りないものを、最も確実な方法で手に入れること」を優先した。私はこの姿勢に、立場を超えた一つの普遍的な原理を感じます。

もちろん、この逸話には伝説的に脚色された部分もあるでしょうし、その人物の政治全体には功罪さまざまな評価があります。そこは本稿の関心ではありません。私が注目したいのは、ただ一点。「自分に足りないものを、頭を下げて他者から学ぶことを、まったくいとわなかった」という、その学びの姿勢そのものです。出口という地理的な目標を、ただ欲しがるのではなく、それを実現するための技術と知識を、自分の手で取りに行った。地理が与えてくれない「力」の部分を、学習によって自前で埋めようとしたのです。

私はこの話を知ったとき、20年やってきた事業や投資の現場を思い返しました。新しい分野に踏み込むとき、私は何度も「自分は素人だ」という事実を突きつけられてきました。そのたびに、すでにその道を知っている人に頭を下げて教わるか、それとも我流で押し通すかの分かれ道がありました。振り返れば、うまくいった局面はたいてい、面子を捨てて素直に教わったときでした。立場やプライドが、学びの邪魔をした分だけ、私は遠回りをしてきたのです。皇帝が職人になったという逸話は、その教訓を、これ以上ないほど極端な形で見せてくれます。

後発国の追い上げ戦略 ― 模倣から自前技術へ

この逸話を、一人の人物のエピソードとしてだけでなく、「後から追いかける立場の国が、どうやって先行する国に追いつくのか」という、より大きな構造の中で見てみましょう。ここでも特定の国の優劣を論じる意図はなく、あくまで「後発の立場にある者が取りうる成長の道筋」という、普遍的な構造の話です。

ある分野で大きく先を行く者がいるとき、後から追う者がゼロから独力ですべてを発明し直すのは、途方もなく非効率です。すでに世界のどこかに完成された技術や知識があるなら、まずはそれを学び、取り入れ、模倣するところから始めるのが、最短の道になります。「真似ること」は、追いつくための恥ずべき近道ではなく、合理的な第一歩なのです。先ほどの逸話で指導者がみずから造船所に入ったのも、つまるところ「すでにある最良のやり方を、最も確実に自国へ持ち帰る」ための行動でした。

しかし、ここが肝心なのですが、模倣はあくまで出発点であって、終着点ではありません。学んだ技術をただ真似ているだけでは、いつまでたっても先行する者の後ろを歩き続けることになります。本当の意味で追いつき、さらに前へ出るためには、外から取り入れた技術を、自国の事情に合わせて改良し、やがて自分たちの手で新しいものを生み出せる段階まで、内側に育て上げなければなりません。「模倣から始め、自前の技術へと昇華させる」。この二段階を踏めるかどうかが、後発の立場にある者が、追随者で終わるのか、それとも自立した担い手になるのかの分かれ目になります。

歴史を眺めると、後から追いかける立場から大きく成長していった国や組織には、しばしばこの「模倣から自前へ」という共通の道筋が見られます。最初は外から人を招き、技術を買い、やり方を真似る。そうして得た知識を消化し、自国の現場で改良を重ね、人材を育て、ついには外に頼らず自分たちで回せるようにする。外部からの学びを、内部の力へと転換していくプロセスです。先ほどの「皇帝みずからが職人になる」という逸話は、この長い転換プロセスの、いわば象徴的な出発点として位置づけられるのです。

この構造を投資の目で見ると、私はいつも「学んだものを、どれだけ自分の内側の資産に変えられているか」という問いに行き着きます。情報や知識を外から仕入れるだけなら、誰にでもできます。差がつくのは、その仕入れたものを、自分なりに咀嚼し、改良し、繰り返し使える「自前の判断力」にまで育てられるかどうか。外から借りてきた知識は他人のものだが、消化して自分の判断軸に組み込んだ知識は、誰にも奪えない自分の資産になる。後発国の追い上げ戦略は、個人の学びの戦略と、驚くほど同じ構造をしているのです。

日本との比較 ― 明治維新「お雇い外国人」との類似

ここで視点を、私たちが暮らす日本の歴史に向けてみたいと思います。ここでも特定の時代や政策の是非を論じる意図はなく、あくまで「後発の立場から学んで追いつこうとした構造」の比較です。

日本にも、外の進んだ技術や知識を、急速に取り入れて自国の力に変えようとした時代がありました。広く知られているのが、明治期に多くの外国人専門家を招いて、技術・制度・学問を学んだ取り組みです。鉄道や鉱山、教育や法律、軍事や工業といったさまざまな分野で、すでにそれらに通じた外国の専門家を招き、彼らから直接学びながら、近代化を一気に進めようとしました。「すでに世界にある最良のやり方を、招いて学び、自国へ移植する」という発想において、これは先ほどの「皇帝が職人になって技術を持ち帰る」という逸話と、同じ系譜にある行動だと言えます。

ここで興味深いのは、招いた専門家に頼りきって終わったのではなく、その知識を自国の人材へと移し替え、やがて外国人の手を借りずに自分たちで回せる段階を目指したという点です。外から来た専門家は、いわば一時的な「橋」でした。橋を渡って向こう岸の知識を手に入れたら、いずれはその橋がなくても自力で歩けるようにする。前章で見た「模倣から自前へ」という二段階の追い上げ構造が、ここでも形を変えて現れています。外部の力を、最終的に内部の力へと転換していく――この点で、地理も時代も異なる二つの事例は、同じ論理を共有しているのです。

もちろん、両者には大きな違いもあります。一方は指導者みずからが現場に身を置いて学んだという逸話であり、他方は専門家を招いて組織的に学んだという取り組みです。手段も背景もまったく異なります。それでも、「後れを取っている自覚を持ち、先行する者から素直に学び、それを自前の力に変えようとした」という芯の部分は共通している。私はこの共通点にこそ、国や時代を超えた普遍的な学びの原理が宿っていると感じます。優れているのはどちらか、という比較ではありません。「学ぶ姿勢」というものが、立場や国境を越えて、同じように成長の原動力になるという事実が、二つの事例を重ねることで浮かび上がってくるのです。

この日本との比較から私が引き出したいのは、「学んで追いつく力は、生まれつきの優劣ではなく、姿勢の問題だ」ということです。最初から先頭を走っていた者だけが強いのではありません。後れを取っていても、それを直視し、頭を下げて学び、得たものを自前に変えていける者は、時間をかけて追いつき、ときに追い越していく。これは国家のスケールの話に見えて、実は私たち一人ひとりの資産形成や人生にも、そのまま当てはまる原理だと私は考えています。

投資家への教訓 ― 「学習し続ける力」が長期の競争優位をつくる

ここから、20年の投資経験を踏まえた教訓に入ります。皇帝が職人になり、後発国が模倣から自前へと駆け上がっていく物語が、私たち投資家に教えてくれる最大の示唆は、「学習し続ける力こそが、長期にわたって持続する競争優位の源泉である」ということです。

第4話までで、私たちは「希少な要衝の価値」と「一点依存のリスク」を見てきました。今回の物語は、それらとは別の角度から、もう一つの真実を加えてくれます。それは、「いま持っている強みは、学びを止めた瞬間から、ゆっくり目減りしていく」という事実です。出口という地理的な強みを手にしても、それを使いこなす技術を学び続けなければ、強みは宝の持ち腐れになります。逆に、いま遅れていても、学び続ける限り、差は縮まっていく。強みも弱みも、固定されたものではなく、学習を続けるかどうかで動いていくのです。

これを企業を選ぶ投資家の視点に置き換えると、極めて実践的な問いが浮かび上がります。「この会社は、学び、改良し、自己変革し続ける力を持っているか」という問いです。私が長く投資先を見てきて痛感するのは、ある時点で優れた製品やシェアを持っていることよりも、その優位を「学び続けることで更新し続けられるか」のほうが、はるかに長期のリターンを左右するという事実です。今の強みは、いずれ誰かに模倣されます。前章で見たように、模倣は追い上げる側の合理的な第一歩なのですから、当然のことです。だからこそ、追いつかれることを前提に、その先へ学んで進み続けられる企業こそが、長く競争優位を保てるのです。

ここで、私が企業を見るときに具体的に注目する点を挙げておきます。一つは、その会社が研究開発や人材育成、つまり「学びのための投資」を、目先の利益を多少削ってでも続けているかどうか。稼いだものをすべて配ってしまうのではなく、一部を「次に学び、次を生み出す力」へと再投資している会社は、長い目で見て強い。これは、皇帝がみずから時間と労力を割いて造船所で学んだのと、本質的に同じ営みです。学びには、必ず先行投資の痛みが伴います。その痛みを引き受けられる会社かどうかが、私の一つの判断軸になっています。

そして、ここに私の複利に対する考え方が、自然につながってきます。学びへの再投資が長期で効いてくるのは、それが複利的に積み上がるからです。今年学んで得た改良が、来年さらに良い学びを呼び込み、その積み重ねが年を追うごとに差を広げていく。一年だけ見れば地味でも、再投資を何年も続けた企業と、止めてしまった企業との差は、時間とともに加速度的に開いていきます。第3話・第4話で私は「借り手側で複利を敵に回さない」と書きました。今回はその裏側、つまり「学びと再投資という形で、複利を味方につける」という側面に光を当てたいのです。学習を再投資し続ける企業を選び、長く持ち続けることは、その企業の複利的な成長を、株主の側から味方につける行為にほかなりません。これはあくまで一個人の見解ですが、私が長期投資で最も大切にしている発想の一つです。

もう一つ、見落としてはならない点があります。それは、学び続ける力は、投資先の企業だけでなく、投資家である私たち自身にも問われているということです。市場も、技術も、世界の構造も、絶えず変わり続けます。かつて通用した判断軸が、いつまでも通用するとは限りません。皇帝がみずから現場に降りて学んだように、私たち投資家も、自分の知識が古びていないかを定期的に問い直し、頭を下げて新しいことを学び続ける必要があります。「自分はもう分かっている」と学びを止めた投資家から、優位はゆっくり剥がれ落ちていく。これは、私が20年間、何度も自分に言い聞かせてきた戒めです。

最後に、リスクの側面にも触れておきます。学びへの再投資は万能ではありません。何でも学べばよい、何にでも投資すればよいというものではなく、的外れな方向への投資は、ただの浪費に終わります。大切なのは、「自分が本当に必要としている学びは何か」を見極めたうえで、そこに集中して再投資すること。皇帝が学んだのは、ほかでもない、自国に決定的に欠けていた造船技術でした。学びの力を信じることと、学ぶ対象を冷静に選ぶことは、両立させなければなりません。やみくもな学習ではなく、自分の弱点を正確に見据えた学習こそが、長期の競争優位につながるのです。

4児パパの視点 ― 子どもに「真似て学ぶことは恥じゃない」と教える

4人の子を一人で育てる中で、私は子どもたちに「学ぶこと」についてどう伝えるかを、いつも考えています。第1話では「一番大きい国が一番強いとは限らない」、第2話では「出口の大切さ」、第3話では「場所そのものの価値」、第4話では「通り道の大切さ」を子どもに話す場面を書きました。今回は、その続きとして「真似て学ぶことは、恥ずかしいことではない」という話をしてみたいと思います。

子どもというのは、ある年齢になると、人前で「分からない」と言うことや、誰かのやり方を真似ることを、急に恥ずかしがるようになります。私の子どもたちにも、その傾向が出てきました。そこで私は、今回の逸話を、子ども向けにかみ砕いて話してみました。「昔ね、すごく偉い、国で一番えらい人がいたんだって。でもその人は、自分の国に船を作る技術がないって気づいて、わざわざ遠い国まで行って、職人さんに混じって、自分で木を削って船の作り方を覚えたんだよ。一番えらい人が、頭を下げて、いちばん下っ端みたいに働いて学んだんだ」と。

子どもは「えー、一番えらいのに?」と驚きます。そこで私はこう続けます。「そうなんだよ。本当に強い人ほど、知らないことを『知らない』って素直に言えて、できる人を真似して学べるんだ。真似するのは、ずるいことでも、恥ずかしいことでもない。上手な人のやり方を真似て、そこから自分のやり方を作っていく。それが一番かしこい学び方なんだよ」と。そして、身近な例に置き換えます。「サッカーが上手な子のけり方を真似するのは、ずるい? 違うよね。真似して練習して、だんだん自分のけり方になっていく。勉強も、お金のことも、ぜんぶ同じなんだ」と。

これは、お金や仕事の教育としても、私がとても大切にしている視点です。「真似て学ぶことを恥じない素直さ」と、「学んだものを自分のやり方に育てていく粘り強さ」。この二つがあれば、子どもは何歳になっても、どんな分野でも、後から追いついていける。逆に、プライドが邪魔をして学びを止めてしまえば、最初の才能がいくらあっても、いずれ追い越されてしまう。妻を病気で亡くし、一人で4人を育てる立場になった私が子どもたちに残したいのは、特定の知識そのものよりも、こうした「いくつになっても、素直に学び、学んだものを自分の力に変え続けられる姿勢」です。お金は使えば減りますが、学び続ける力は、使うほどに増えていく。これこそ、子どもに渡せる最良の資産だと、私は信じています。

そして、これは投資の話とも一本につながっています。学び続ける企業を選ぶ目を持つには、まず自分自身が学び続ける人間でなければなりません。子どもに「真似て学ぶことは恥じゃない」と伝える私自身が、いくつになっても素直に学び続ける姿を見せること。それが、言葉以上に強い教育になると思っています。地図一枚、昔の逸話一つからでも、その学びは始められるのです。

まとめ ― 学び続ける力こそ、奪われない最強の資産

第5話では、みずから職人になって技術を学んだという逸話を主役に、「学び続ける力が、長期の競争優位をつくる」という教訓を見てきました。要点を振り返っておきましょう。

  • 出口という地理的な目標は、それを使いこなす技術と知識という「力」がなければ実現しない。地理が与えてくれない部分を、学習によって自前で埋めようとした姿勢が、皇帝がみずから職人になった逸話の本質。
  • 後から追う立場の者にとって、「真似ること」は恥ずべき近道ではなく合理的な第一歩。ただし模倣は出発点にすぎず、自前の技術へと昇華させてこそ、追随者で終わらず自立した担い手になれる。
  • 明治期に専門家を招いて学んだ日本の取り組みも、「外部の力を内部の力へ転換する」という同じ構造を共有する。学んで追いつく力は、生まれつきの優劣ではなく姿勢の問題。
  • 投資では、いまの強みより「学び、改良し、自己変革し続ける力」のほうが、長期のリターンを左右する。追いつかれることを前提に、その先へ学んで進み続けられる企業こそ長く優位を保てる。
  • 稼ぎの一部を研究開発や人材育成という「学びへの再投資」に回し続ける企業は、複利的に差を広げていく。学習し続ける企業を選び長く持つことは、複利を株主の側から味方につける行為。
  • 学び続ける力は、投資先だけでなく投資家自身にも問われる。「もう分かっている」と学びを止めた瞬間から優位は剥がれる。やみくもにではなく、自分の弱点を見据えて集中して学ぶことが要。

一国を率いる人物が、面子を捨てて異国の造船所で木を削った。その姿は、私たちに「いまの自分の強みに安住していないか」「素直に学び続けているか」という普遍的な問いを突きつけてきます。第4話で見た「単一の通路に頼らない分散」という発想は、今回の物語によって、「依存を減らし、学びによって自分の側に新しい力を育てる」という、より能動的な段階へと広がりました。希少な一点を見抜く目、一点依存を避ける慎重さ、そして学び続けて自前の力を育てる姿勢――これらを重ね合わせることで、国家のスケールでも、私たち一人ひとりの資産形成でも、長く生き残るための土台が築かれていくのだと、私は考えています。あくまで一個人の見解ではありますが、学び続ける力こそ、市場の混乱にも時代の変化にも奪われない、最も強い資産だと私は信じています。


次回・第6話の予告: 次回は、ナポレオンもヒトラーも退けた規模と距離を主役に、話を進めていきます。歴史上、強大な勢力が幾度もこの国へ攻め込みながら、その広大さと厳しい距離・気候の前に退かざるを得なかった。その背景には、第1話で見た「広さ」が、攻める側にとっては逆に大きな壁として立ちはだかるという構造があります。今回見た「学び続けて自前の力を育てる」という発想に、「持って生まれた規模そのものが防御になる」という視点を重ね、企業や資産における「規模の力と、その落とし穴」を考えていく回です。第6話:ナポレオンもヒトラーも退けた規模と距離 へ続く。どうぞお楽しみに。


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▶ 次の話:第6話 ナポレオンもヒトラーも退けたロシアの強さ|規模と距離という防御力

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