金(ゴールド)と中央銀行|なぜ国家は今も金を買うのか・地政学で学ぶ資産形成シリーズ第9話

投資・資産運用

地政学で学ぶ資産形成シリーズも、第9話まで来ました。前回(第8話:基軸通貨ドルとペトロダラー体制の現在地)では、世界の取引の中心に座り続けてきたドルの強さと、その揺らぎの芽を、できるだけ中立的に見てきました。今回は、お金の歴史の中でもっとも長く「価値の象徴」であり続けてきた、ある特別な金属——金(ゴールド)に目を向けます。通貨の信頼が揺れるとき、なぜ人々は金へと向かうのか。そして、なぜ国家の中央銀行は、これだけ金融が発達した今もなお、金を買い続けているのか。シリーズ全体の地図は地政学シリーズ ハブページからたどれます。

私は4人の子どもを育てながら、20年にわたって不動産の大家業、自分の事業、そして投資を続けてきました。妻を病気で亡くしてからは、「自分がいなくなっても子どもたちが困らないお金の仕組み」をどう作るかを、それまで以上に真剣に考えるようになりました。地政学を学ぶのは、どこかの国を持ち上げたり貶めたりするためではなく、世界のお金の流れがどんな力学で動いているのかを理解し、自分の資産を長い時間軸で守り、育てるためです。以下はあくまで私個人の見解であり、金への投資を勧めるものでも、特定の配分を推奨するものでもないことを、はじめにお断りしておきます。

金は「無国籍のお金」——誰の負債でもない資産

まず、金という資産の、いちばん本質的な性格から確かめておきたいと思います。私が金を理解するうえで、これだけは外せないと思っている言葉があります。それは、金は「誰の負債でもない資産」だ、という性格です。少し抽象的に聞こえるかもしれませんので、私たちが普段使っているお金と比べながら、丁寧にほどいていきましょう。

私たちが財布に入れているお札も、銀行口座に入っている数字も、よく考えると、それ自体に価値があるわけではありません。お札はただの紙であり、口座の数字はただの記録です。では、なぜそれがお金として通用するのか。それは、その紙や数字の裏側に、「発行している国や中央銀行が、その価値を保証している」という信頼があるからです。言いかえれば、私たちの持っているお金は、誰かの「約束」の上に成り立っています。国がその通貨を支え、銀行がその預金を支える。お金とは、つまるところ、発行した側の「負債」——返すべき約束——として存在しているのです。

ところが、金は違います。金は、誰かが「この価値を保証します」と約束しているから価値があるのではありません。金は、その金属そのものに、人類が何千年も価値を認め続けてきたという、ただそれだけの理由で価値を持ちます。発行する主体がいない。だから、誰かの約束が破られても、その影響を受けない。どこかの国の信頼が揺らいでも、どこかの銀行が傾いても、金は金のまま、そこに在り続けます。これが、「誰の負債でもない資産」という言葉の意味です。私はこの性格を、金という資産の、いちばんの背骨だと考えています。

そして、金にはもう一つ、深くつながった性格があります。それは「無国籍」だ、ということです。お札には、必ずどこかの国の名前が刻まれています。それは、その通貨が特定の国の信頼に紐づいていることの、何よりの証です。けれど金には、国籍がありません。日本で掘られた金も、遠い国で掘られた金も、同じ金です。世界のどこへ持っていっても、金は金として通用する。特定の国の運命に縛られない、世界共通の「価値の塊」——それが金です。前回見た基軸通貨ドルが「特定の国の信頼に支えられた、世界共通のお金」だとすれば、金は「どの国にも属さない、世界共通の価値」だと言えます。この対比は、これからの話を理解するうえで、とても大切になります。

私はこの「誰の約束にも頼らない」という性格を、商売や暮らしの中で、何度も大切さを噛みしめてきました。取引の世界では、相手の約束が守られることを前提に物事が回ります。ほとんどの場合、その前提は問題なく成り立ちます。けれど、ごくまれに、約束そのものが揺らぐ瞬間が訪れる。そういうとき、誰の約束にも頼らずにそこに在るものの心強さを、人は痛いほど思い知ります。金が何千年ものあいだ、価値の象徴であり続けてきた根っこには、この「約束に頼らない安心感」があるのだと、私は理解しています。

中央銀行が金を積み増す地政学的な理由

さて、ここからが今回の核心です。これほど金融が発達し、世界中のお金が瞬時に動く時代になっても、各国の中央銀行——お金の番人ともいえる存在——は、今なお金を買い、その保有を積み増しています。なぜ、国家ともあろうものが、利息も生まない、ただそこに在るだけの金属を、わざわざ蓄えるのでしょうか。ここには、前項で見た金の性格と、地政学の力学が、深く絡み合っています。

中央銀行は、いざというときに使える備えとして、さまざまな資産を蓄えています。これを外貨準備と呼びます。その中心は、長らく前回見た基軸通貨ドルをはじめとする、外貨で持つ資産でした。けれど、ここで前回の話を思い出してください。ドルをはじめとする外貨で資産を持つということは、その通貨を発行している国の信頼に、自分の備えを預けるということです。そして、その通貨の決済網が、ときに政治的な力として使われうる——そういう二面性も、前回確認しました。つまり、外貨で持つ備えには、「発行している国の都合や力関係に、自分の備えが左右されうる」という、構造的な性格がついて回るのです。

ここで、金の「誰の負債でもない」「無国籍」という性格が、地政学的な意味を帯びてきます。金は、どこかの国の信頼に紐づいていません。だから、特定の国との関係がどうなろうと、その国の決済網にアクセスできようができまいと、金は手元にある限り、価値を保ち続けます。国家にとって金とは、「どの国の都合にも左右されない、自分だけで完結する備え」なのです。世界の力関係が不安定になり、特定の通貨への依存に不安を感じる国ほど、誰の約束にも頼らない金へと、備えの一部を移そうとする——これが、中央銀行が金を積み増す、もっとも本質的な地政学的理由だと、私は理解しています。

もう少し噛みくだきましょう。世界には、自国と特定の大国との関係に、必ずしも安心しきれない国々があります。前回見たとおり、基軸通貨の決済網は、緊張が高まる局面で、アクセスを制限する力としても機能しうる。そうした構造を意識する国にとって、外貨で持つ備えは、「いざというとき、本当に自由に使えるのか」という、ぬぐいきれない不安をはらみます。それに対して、自国の金庫に物理的に置いてある金は、誰にも止められず、誰の許可もいらない。この「誰にも止められない」という性格こそが、不確実な世界を生きる国家にとって、金の何よりの魅力なのです。これは特定の国の動きを良い悪いで評価する話ではなく、不安定な世界で備えを持つ側に共通して働く、構造的な力学の話です。

私はこの国家の振る舞いを、商売における「いざというときの蓄え」の話として、自分に引きつけて考えます。事業をやっていると、取引先との関係や、決済の仕組みに、ほとんどの場合は問題なく頼れます。けれど、本当に困った局面では、誰の都合にも左右されず、自分だけで動かせる蓄えが、最後の支えになります。国家が金を積むのも、私が事業の片隅に動かせる蓄えを置いておくのも、根っこにある心理は驚くほど似ていると感じます。誰かの約束に頼りきらず、最後に自分で完結できるものを少し持っておく——その安心感を、国家もまた求めているのです。

有事の金・インフレの金——その実像と限界

金について語られるとき、決まって登場する二つの言葉があります。「有事の金」と「インフレに強い金」です。世界が荒れたとき、お金の価値が目減りするとき、金が頼りになる——そうした語られ方を、ニュースや書籍で目にした方も多いでしょう。この二つの言葉には、たしかに一面の真実があります。けれど私は、その真実を正しく受け取るためにこそ、同時にその「限界」も冷静に見ておきたいと考えています。光だけを見て影を見なければ、判断を誤るからです。

まず「有事の金」から見ていきましょう。これは、世界に大きな不安が広がったとき——前項までで見たような、国家間の緊張や、通貨への信頼の揺らぎが起きたとき——人々が、誰の約束にも頼らない金へと、避難するように向かう、という現象を指します。これは、これまで見てきた金の性格から考えれば、ごく自然なことです。約束の上に成り立つ通貨が信じにくくなった局面で、約束に頼らない金が選ばれる。背景にある理屈は、筋が通っています。実際、世界が不安に包まれた局面で、金が買われ、価値が上がる場面は、たびたび見られてきました。

けれど、ここに限界があります。「有事の金」は、いつでも、どんな不安に対しても、確実に上がるわけではない、ということです。人々がどう動くかは、その時々の事情によって変わります。同じような不安でも、金が買われる局面もあれば、思ったほど動かない局面もある。さらに言えば、不安が和らげば、避難していたお金は金から離れていきます。つまり「有事の金」は、確実な保証ではなく、「そういう傾向が見られることがある」という、あくまで傾向の話なのです。これを「不安なときは必ず金が上がる」と思い込むと、期待が外れたときに足をすくわれます。私は、この言葉を「一定の傾向」として静かに受け止め、絶対の法則だとは決して考えないようにしています。

次に「インフレに強い金」です。インフレとは、ものの値段が全体として上がり、同じお金で買えるものが少しずつ減っていく——つまりお金の価値が目減りしていく現象です。お金の価値が下がるとき、その対極にある「実物の価値の塊」である金は、相対的に価値を保ちやすい、という考え方が、この言葉の背景にあります。前回、円だけで現金を抱えることには、購買力が静かに目減りしていくリスクがあると書きました。金は、その目減りに対する、一つの備えになりうる——これも、筋としては理解できます。

ただし、ここにも限界があります。金が、インフレに対して、いつもきれいに連動して価値を保ってくれるとは限らない、ということです。短い期間で見れば、お金の価値が下がっているのに金も振るわない、という局面もありえます。金の値段は、インフレだけでなく、世界中の無数の事情が絡み合って決まるからです。「インフレに強い」というのも、長い目で見たときの大まかな傾向であって、いつでも当てになる精密な装置ではない。私はこの言葉も、「長期的にはそういう性格を持ちやすい」という、ゆるやかな理解にとどめています。

「有事の金」も「インフレの金」も、嘘ではありません。けれど、絶対でもありません。この、当たり前のようでいて見落とされがちな事実を、私はいつも自分に言い聞かせています。金の強みを正しく評価することと、金に過剰な期待を寄せることは、まったく別のことです。実像と限界を、両方そのまま受け止める——それが、金という資産と冷静に付き合うための、最初の一歩だと私は思います。

金は利息を生まない——保有コストという裏側

ここまで金の魅力を見てきましたが、金という資産には、避けて通れない、はっきりとした弱点があります。それは、「金は、持っているだけでは、何も生み出さない」ということです。この性格は、金を考えるうえで決定的に重要なので、丁寧に向き合っておきたいと思います。

世の中の多くの資産は、持っているあいだに、何かを生み出してくれます。たとえば、私が長年やってきた不動産の大家業であれば、物件は家賃という収入を生みます。事業であれば、利益を生みます。株式であれば、その会社が稼いだ利益の一部が、配当というかたちで戻ってきたり、会社の成長として価値に積み上がったりします。これらの資産は、いわば「働いてお金を生むもの」です。だからこそ、長く持ち続けるあいだに、生み出されたものがさらに次を生み——という、雪だるまのような積み上がりが起こりえます。このシリーズで何度も触れてきた、時間を味方につける力です。

ところが、金は働きません。金庫に金を置いておいても、家賃も、利益も、配当も、一円も生み出してくれません。金は、ただそこに在るだけです。金で得られるものがあるとすれば、それは「金の値段そのものが上がったとき」の差額だけ。持っているあいだに何かを生み出してくれる、という性格を、金はまったく持っていないのです。ここが、金と、株式や不動産といった「働く資産」との、決定的な違いです。

ここで、このシリーズの根っこにある、複利という考え方に触れておきましょう。複利とは、生み出されたものが、さらに次を生み出していく、あの雪だるまの力です。株式のような働く資産では、この複利が、長い時間をかけて静かに、けれど力強く効いていきます。これは、株主の側に立つ者にとって、これ以上ない味方です。ところが金は、何も生み出さないがゆえに、この複利という最大の味方が、そもそも働きません。金を長く持ち続けても、雪だるまは大きくなっていかない。これは、金の性格を理解するうえで、絶対に外せない一点だと私は考えています。働く資産には時間が味方し、働かない金には、時間がそのままには味方しないのです。

さらに、金には「保有コスト」という裏側もあります。何も生み出さないだけでなく、安全に保管しようとすれば、その手間や費用がかかります。物理的に金を持てば、盗難や紛失のリスクに備えなければならず、しかるべき形で保管すれば、それ相応の負担が生じます。生み出すものがゼロである一方で、持ち続けるための負担はかかる——この非対称が、金という資産の、もう一つの厳しい現実です。利息を生まないどころか、静かにコストがかかり続ける。私はこの裏側を、金の魅力の話とセットで、必ず思い出すようにしています。

誤解しないでいただきたいのは、私はこれを「だから金は悪い資産だ」と言いたいのではない、ということです。金は、誰の負債でもなく、無国籍で、約束に頼らない。その代わりに、何も生み出さず、保有にコストがかかる。これは、金という資産の二つの顔であって、優劣ではありません。守りに徹した、揺らがない価値の塊であるからこそ、攻めて増やす力は持たない。この性格を正しく理解することが、次に話す「では、どう付き合うか」という問いの、土台になります。

ポートフォリオに金を何割入れるべきか論

ここまでの話を踏まえて、多くの方が気になるであろう問いに、正面から向き合いたいと思います。「では、自分の資産のうち、金をどのくらい持てばいいのか」という問いです。世の中には、「資産の何割は金で持つべきだ」といった、具体的な数字を示す主張が、数多くあります。けれど私は、まず最初にはっきりお伝えしておきたいことがあります。それは、すべての人に当てはまる、唯一正しい金の割合など、存在しない、ということです。

これは、はぐらかしているのではありません。金をどのくらい持つのが心地よいかは、その人の年齢、家族の状況、いまある資産の大きさ、そして何より、その人が値動きや不確実さに対して、どれだけ落ち着いていられるか——こうした、一人ひとりまったく異なる事情によって変わるからです。同じ割合でも、ある人には安心の源になり、別の人には不安の種になる。だからこそ、ここで私が特定の数字を「これが正解です」と差し出すことは、しません。それはYMYL——お金や人生に深く関わるテーマで、軽々しくやってはいけないことだと、私は考えています。以下は、あくまで私個人が、金という資産を位置づけるときに使っている「考え方の枠組み」であって、推奨する配分ではないことを、重ねてお断りしておきます。

その枠組みを一言で言えば、金は「主役ではなく、脇役」だ、という位置づけです。前項で見たとおり、金は何も生み出さず、複利という時間の味方も働きません。つまり、金は資産を「増やす」役割には向いていない。一方で、誰の負債でもなく、約束に頼らないという、揺るがない守りの性格を持っています。だとすれば、金に期待すべきは「増やすこと」ではなく、「世界が荒れたときに、資産全体の揺れを少しだけ和らげてくれること」——守りの一点に絞られます。脇役には脇役の、はっきりとした役割がある。その役割を超えた期待をかけないことが、金と付き合ううえでの肝だと、私は考えています。

主役と脇役という言い方をしたのは、これが次の項で話す「コアとサテライト」という考え方に、まっすぐつながるからです。資産形成の中心——コア——には、長い時間をかけて働き、複利で雪だるまを大きくしてくれる資産を据える。そして、その周りに、増やすためではなく、揺れを和らげるための脇役を、少しだけ添える。金は、この「脇役の少量」という位置に、すっと収まる資産だと私は理解しています。どのくらい添えるかは人それぞれですが、少なくとも「金を中心に据えて資産を増やそう」という発想は、金の性格からして無理がある——ここだけは、私の中ではっきりしています。

私が自分に課しているのは、「金に、金が果たせる以上の役割を背負わせない」という、ただそれだけのことです。何も生み出さない資産を大量に抱えれば、資産全体の成長は鈍ります。かといって、守りの脇役を完全にゼロにするかどうかも、その人の安心の感じ方しだいです。だからこそ、割合の正解を外に求めるのではなく、「金は守りの脇役」という性格を正しく理解したうえで、自分にとって心地よい量を、自分で決める。最終的な判断は、必ずご自身の状況に応じて、ご自身で行ってください。これは、誰かに決めてもらえる種類の問いではないのです。

投資家の教訓——守りの資産としての位置づけ

さて、ここまで見てきた金の話から、投資家として何を受け取れるでしょうか。誰の負債でもない、無国籍の価値。国家でさえ地政学的な備えとして積み増す資産。有事やインフレに対する、一定の——けれど絶対ではない——強さ。そして、何も生み出さず、複利が働かないという、はっきりとした弱点。これらを一本の線でつないだとき、私がたどり着く教訓は、シリーズを通じて繰り返してきた、ある役割分担の考え方に行き着きます。それが、「コア(中心)とサテライト(衛星)」という構えです。

コアとは、資産形成の中心に据える、土台となる部分です。ここには、長い時間をかけて働き、複利で着実に育っていく資産を置きます。このシリーズで何度も登場してきた、米国の代表的な企業に幅広く投資するS&P500や、全世界の株式に分散する全世界株式(いわゆるオルカン)といった、指数に連動するかたちで世界全体に広く分散する株式の器が、まさにこのコアにふさわしい資産です。世界経済の成長そのものを、時間を味方につけて、薄く広く取り込んでいく。複利という最大の味方が、ここでしっかりと働きます。資産を「増やす」主役は、あくまでこのコアです。

そして、金は、その周りを回るサテライト——衛星——として位置づけます。前項で見たとおり、金は増やすための資産ではなく、守りの脇役です。世界が大きく荒れたとき、通貨への信頼が揺れたとき、コアである株式が一時的に揺さぶられる局面で、誰の約束にも頼らない金が、資産全体の揺れをいくぶん和らげてくれる——そういう、保険のような役割を、少量のサテライトとして期待する。コアで増やし、サテライトで揺れを和らげる。この役割分担こそが、金という、増やす力は持たないが揺るがない資産の、いちばん自然な使いみちだと、私は考えています。

ここで、絶対に取り違えてはならないことがあります。それは、サテライトである金を、コアと勘違いしてはならない、ということです。守りの脇役である金を、資産の中心に大量に据えてしまえば、複利が働かないぶん、資産全体の成長は確実に鈍ります。守りを固めすぎて、増やす力を失う——これは、長い時間軸で資産を育てたい者にとって、静かに、けれど確実に効いてくる損失です。前回、円だけで現金を抱えることには購買力が目減りする静かなリスクがあると書きました。同じように、生み出さない金を抱えすぎることにも、世界の成長から取り残されていくという、別の静かなリスクが伴います。守りの資産だからといって、無条件に安全なわけではない。脇役は、あくまで脇役の量にとどめる——ここが、コアとサテライトの考え方の、いちばん大切な勘どころです。

この役割分担の良いところは、金に対して、過剰な期待も、過剰な警戒も、どちらも手放せることです。「有事に必ず上がる」と信じ込む必要もなければ、「何も生まないから無価値だ」と切り捨てる必要もない。コアでしっかり増やすという土台があるからこそ、サテライトの金には、ただ「揺れを少し和らげてくれれば十分」という、ほどよい期待だけをかけられます。期待が身の丈に合っていれば、結果がどちらに転んでも、慌てずにいられる。当てにいかず、漏らさず拾い、時間を味方につける——シリーズを通じて貫いてきたこの姿勢が、金という守りの資産に対しても、そのまま生きるのです。もちろん、コアとサテライトの比率をどう取るかは人それぞれであり、最終的な判断は、ご自身の状況に応じてご自身で行ってください。

私が子どもたちに残したいのは、「金がいつ上がるかを当てる眼力」でも「保険を厚く積む臆病さ」でもありません。資産の中心には、世界の成長を取り込んで着実に育つ働く資産を据え、その周りに、揺れを和らげる脇役を、身の丈に合った量だけそっと添える——その落ち着いた役割分担の感覚です。増やす主役と、守る脇役。どちらにも、それぞれの役割を、それぞれの量だけ担わせる。この構えのほうが、私がいなくなった後も、世界がどう荒れようと、ずっと長く彼らを支えてくれるはずだと信じています。

まとめ

第9話では、お金の歴史の中でもっとも長く価値の象徴であり続けてきた金(ゴールド)と、なぜ国家の中央銀行が今もなお金を買い続けるのかを、地政学の視点から見てきました。金は、誰かの約束の上に成り立つ通貨とは違い、「誰の負債でもない」「無国籍の」価値の塊です。だからこそ、特定の国の信頼や決済網の力関係に左右されたくない国家が、地政学的な備えとして、金を積み増していく。これが、金融が発達した今も国家が金を買う、本質的な理由でした。

一方で、「有事の金」「インフレに強い金」という語られ方には一面の真実がありつつ、いずれも絶対の保証ではなく、あくまで傾向の話にとどまります。そして金には、何も生み出さず、複利という時間の味方が働かないうえに、保有にはコストがかかるという、はっきりとした弱点があります。揺るがない守りの価値を持つ代わりに、増やす力は持たない——これが金の二つの顔です。だからこそ投資家として導かれる教訓は、金を「主役ではなく、守りの脇役」として位置づけること。資産の中心(コア)には、複利で着実に育つS&P500やオルカンのような世界株式の器を据え、その周りに、揺れを和らげるサテライトとして、金を身の丈に合った量だけ添える。コアで増やし、サテライトで守る——この役割分担こそが、増やす力は持たないが揺るがない金という資産の、いちばん自然な使いみちだと、私は考えています。何割持つべきかに唯一の正解はなく、最終的な判断は、必ずご自身の状況に応じてご自身で行ってください。

さらに学びを深めたい方は、シリーズの出発点である第1話:地政学と資産形成の入り口から読み返してみてください。シリーズ全体の地図は地政学シリーズ ハブページに、関連する資産形成の考え方は資産形成 統合ハブにまとめてあります。

次回は、人が生きていくうえで、エネルギーと並んで欠かせないもの——「食」に目を向けます。第10話:食料安全保障 へ続く。世界の食料がどんな力学で動き、それが私たちの暮らしと資産に何をもたらすのか——引き続き一緒に見ていきましょう。

▶ 次の話:第10話 食料安全保障|小麦・大豆・肥料という「食べる地政学」

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