前回の第13話「老後資金はいくら必要か――自分の必要額を逆算する」では、「老後2000万円」という独り歩きした数字の正体を解きほぐし、「毎月の支出 - 毎月の年金収入 = 毎月の不足額」という単純な計算式で、自分だけの必要額を逆算する手順を一緒に組み立てました。そしてその最後で、私はこう予告しました――円という一つの通貨にすべてを集中させることのリスクの先に、その円の価値を静かに、けれど確実に蝕んでいく最大の敵がいる、と。その敵の名はインフレです。今回はこのインフレと年金、そして「現金主義」が静かに負けていく構造に、正面から向き合います。シリーズ全体の見取り図は年金で学ぶ資産形成シリーズのハブページにまとめてありますので、行き来しながら読んでいただければと思います。
先に私の立場を申し上げておきます。私は4人の子を一人で育てている父親で、大家として20年、個人事業主として20年、投資家として20年やってきました。妻を病気で亡くしており、ひとり親として家計の地面を一段ずつ固めることの重みを、知識としてではなく経験として知っています。だからこそ、本話の主題である「インフレ」について、最初にはっきり申し上げておきたいことがあります――インフレは、ニュースの中の遠い経済用語ではなく、あなたの預金通帳の残高の「中身」を、音もなく削っていく現実だということです。以下はあくまで私個人の見解であり、将来のインフレ率や為替、相場がどう動くかを当てるものではありません。本話で挙げる数字も、考え方を示すための単純化した例です。最終的な判断は、ご自身の状況や、必要に応じて金融機関・ファイナンシャルプランナーなど専門家の確認を踏まえて行ってください。それでも私が今回、強い言葉で「現金主義は静かに負ける」と書くのは、これが私自身、20年の投資家人生で骨身に刻んできた実感だからです。
インフレとは何か――お金の価値が静かに減る現象
まず、言葉の正体から始めましょう。インフレ(インフレーション)とは、ひとことで言えば「モノやサービスの値段が、全体として上がり続ける現象」です。けれど、私はこの定義を、もう一歩裏返して捉えるべきだと考えています。モノの値段が上がるということは、同じ金額のお金で買えるモノが減るということ。つまりインフレの本質は、「お金そのものの価値が下がっていくこと」なのです。値札が上がっているように見えて、本当に起きているのは、あなたの財布の中の一万円札の「実力」が下がっている、ということなのです。
具体的に考えてみましょう。今日、100円で買えた缶コーヒーが、来年102円に値上がりしたとします。値上がり幅はわずか2円、率にして2%です。「たった2%」と思うかもしれません。けれど裏側を見れば、去年なら100円で1本買えたものが、今年は同じ100円では買えなくなった、ということです。あなたの100円玉は、何もしていないのに、缶コーヒー1本ぶんの価値を失った。これが、年に2%ずつ静かに続いていく。預金の数字は1円も減っていないのに、その数字で買えるモノの量だけが、毎年こっそり減っていく――これがインフレの最も恐ろしいところです。残高という「見た目」は変わらないので、損をしている自覚を持ちにくいのです。私はこれを「静かな税金」と呼んでいます。誰も徴収しに来ないのに、確実に、あなたの購買力を毎年少しずつ持っていく税金です。
では、この「年2%」が長く続くと、どれほどの差になるのか。ここで本話で最も覚えておいてほしい数字を出します。インフレ率が年2%で20年間続くと、お金の実質的な価値は、約67%にまで目減りします。計算は単純で、毎年「前年の価値の98%」になっていくのを20年繰り返すと、おおよそ0.67、つまり3分の2近くまで縮むのです。言い換えれば、いま手元にある100万円は、20年後には今の67万円ぶんの買い物しかできなくなる。33万円ぶんの購買力が、タンスに入れて何もしなくても、静かに蒸発していく計算です。年2%というのは、決して極端な想定ではありません。多くの中央銀行が「健全な経済の目安」として掲げている水準そのものです。つまり、世の中が「正常」に回っているだけで、現金の価値は20年で3分の2に向かって縮んでいく――これが、私たちが立っている地面の傾きなのです。
ここで複利の話を思い出してください。本シリーズで私は繰り返し「複利は、株主側・資産の持ち手側で味方につけよ」と書いてきました。インフレとは、まさに複利が「逆向き」に、あなたの現金に対して働いている状態です。資産運用の複利が雪だるまを大きく転がしていくのと正反対に、インフレの複利は、現金という雪だるまを毎年少しずつ溶かしていく。同じ複利の力が、味方にも敵にもなる。だからこそ私は、お金を「ただ持っているだけ」の状態を、決して「安全」だとは考えないのです。次の章では、この逆向きの複利に対して、私たちの収入の柱である年金がどこまで耐えられるのかを見ていきます。
年金は物価にある程度連動するが、完全ではない
「インフレで現金が目減りするのは分かった。でも、年金は物価が上がれば一緒に増えてくれるのではないか」――そう考えた方は鋭いです。実際、日本の公的年金は、ただ固定された金額が一生払われるだけの制度ではありません。物価や賃金の動きに合わせて、毎年の支給額が見直される仕組みを持っています。これは年金という制度の、非常に優れた点の一つです。もし年金額が完全に固定だったら、インフレが進むほど年金生活者は一方的に貧しくなっていく。それを防ぐために、物価が上がればある程度年金額も上がるよう設計されている。だから私は、年金を「インフレにそこそこ強い、貴重な終身の収入」として高く評価しています。
ただし、ここに大きな「ただし」が付きます。本シリーズで何度か登場したマクロ経済スライドという仕組みです。これを正確に押さえることが、本章の肝です。マクロ経済スライドとは、ごく単純に言えば、「物価が上がっても、年金額の上がり方を、わざと物価の上がり方より少しだけ抑える」仕組みです。なぜそんなことをするのか。年金制度を支える現役世代が減り、受け取る高齢者が増えていく中で、制度を長持ちさせるためです。支給額を物価の上昇とぴったり同じだけ増やし続けると、制度の財布が早く尽きてしまう。だから、制度を将来世代まで持たせるために、上昇幅をあえて少し削る。これが、私の子どもたちの世代まで年金を残すための、いわば苦渋の調整弁なのです。
この仕組みが意味するのは、こういうことです。物価が2%上がった年に、年金額は2%は上がらず、たとえば1.5%程度の上昇にとどまる。差し引き0.5%ぶん、年金の「実質的な購買力」は、その年に静かに目減りする。一年ならわずかな差です。けれど前章で見た通り、こうした小さな差も、長い年数を複利で積み重ねれば、無視できない大きさになります。年金はインフレに「ある程度」連動するが、「完全」には連動しない。物価の上昇に、ほんの少しずつ置いていかれる構造を、制度として最初から抱えているのです。これは制度の欠陥ではなく、制度を持続させるための意図的な設計です。けれど、受け取る側の私たちの暮らしの実感としては、「年金は増えているはずなのに、なぜか年々生活が楽にならない」という形で、じわじわ効いてきます。
さらに見落とせないのが、高齢者ほど、平均の物価より値上がりの激しい品目にお金を使う傾向があるという現実です。老後の支出で大きな比重を占めるのは、医療や介護、そして食料品や光熱費といった生活必需品です。これらは、世の中全体の平均的な物価上昇よりも値上がりが目立つ局面が少なくありません。世間が「物価は2%上がった」と言っているとき、高齢者世帯の体感物価は、それ以上に上がっていることがある。年金の増え方が平均物価よりわずかに抑えられ、しかも自分の支出はその平均より上振れしやすい――この二重の「置いていかれ」が、年金生活者の実質的な購買力を、想像以上に削っていくのです。
だからこそ私の結論はこうです。年金は、老後のインフレ対策の「土台」としては極めて優秀だが、それだけでは完全な盾にはならない。終身で入り続け、物価にある程度連動してくれる年金は、何にも代えがたい守りです。けれど、その守りには「ほんの少しずつ置いていかれる」という隙間がある。前回逆算した「自分の必要額」も、インフレが進めば、その必要額自体が年々膨らんでいく。年金がカバーしきれないこの隙間を、何で埋めるのか――その問いに答えるために、まずは「何も埋めない人」、つまり現金だけで持つ人がどうなるのかを、次の章で直視します。
現金だけ持つ人が一番損をする構造
ここまで来れば、本章の結論はもう見えているはずです。インフレの時代に、資産を現金(預金)だけで持つ人は、何もしていないつもりで、最も着実に損をしていく。これは私の20年の実感であり、同時に、ただの算数でもあります。多くの人が「投資は怖い、元本が減るかもしれない。だから現金で持っておくのが一番安全だ」と考えています。私はこの「現金=安全」という思い込みこそ、インフレ時代における最大の落とし穴だと考えています。
なぜか。整理しましょう。預金には、ごくわずかな利息が付きます。仮に年0.2%だとします。一方で、物価は年2%上がっていく。すると何が起きるか。あなたの預金は、利息で年0.2%増えるが、その間に物価は年2%上がる。差し引き、お金の実質的な価値は、毎年およそ1.8%ずつ減っていくのです。通帳の数字は「増えて」います。だから多くの人は損をしている自覚がない。けれど、その数字で買えるモノの量で測れば、確実に「減って」いる。これが、現金主義が「静かに」負けると私が言う理由です。負けているのに、負けている音がしない。出血しているのに、痛みを感じない。だから、人は対策を打たないまま、何年も何年も購買力を失い続けてしまうのです。
もう一度、前章までの数字を重ねてみましょう。年2%のインフレが20年続けば、現金の価値は約67%、つまり3分の2に縮む。100万円の預金は、20年後には今の67万円ぶんの買い物しかできない。これが1000万円なら、330万円ぶんの購買力が消える計算です。前回、私たちは「老後の不足額を埋めるための目標額」を逆算しました。仮にそれを現金1440万円と置いたとして、その現金をただ預金に寝かせておいたら、老後を過ごす間に、その購買力は静かに縮んでいく。「老後資金を用意した」と思って安心していても、その資金の中身が、毎年こっそり目減りしている――これが、現金一本足の老後設計が抱える、最も見えにくい危険です。「元本割れしないから安全」と思っていた現金が、実は「購買力という意味では、ほぼ確実に目減りする」資産だった、という逆説。私はこれを、できるだけ多くの人に知ってほしいのです。
ここで、本シリーズの根っこにある私の借金・複利スタンスを、改めて重ねておきます。私は基本的に借金には慎重な立場です。借りた金には複利でコストが乗り、それは借り手にとって「敵」の複利だからです。けれど、インフレという文脈では、お金を借りている側に、一つだけ中立的に見ておくべき側面があります。インフレが進むと、過去に借りた借金の「実質的な重み」は、時間とともに軽くなっていく。たとえば固定金利で借りた住宅ローンの残高は、額面としては変わりませんが、物価と賃金が上がっていけば、相対的にその返済額の重みは目減りしていく。これは「だから借金しろ」という話では断じてありません。借入には金利という確実なコストと、返せなくなるリスクが常に付きまといます。ただ、インフレという現象を公平に見るなら、「現金で持つ側」が不利になる一方で、「適切に管理された固定の負債を持つ側」には実質負担が軽くなる側面もある、という非対称を、知識として知っておく価値はある、というだけのことです。あくまで中立に、現実の構造として申し添えておきます。
では、現金が静かに負けるなら、私たちは何で身を守ればいいのか。ここで大切なのは、感情的に「現金は全部捨てて投資に回せ」と走らないことです。現金には、いつでも使える「流動性」という、他の資産にない最大の強みがあります。急な出費や、暴落時の買い場に動くための現金は、必ず手元に確保しておくべきです。問題は、「必要な手元資金を超えて、余剰のお金まで、ずっと現金のまま寝かせ続けること」なのです。次の章では、インフレに対して、どの資産が強く、どの資産が弱いのかを、整理して並べていきます。
インフレに強い資産・弱い資産の整理
ここからは、手持ちの選択肢を「インフレに強いか、弱いか」という一本の物差しで仕分けしていきます。この物差しの本質は単純です。「物価が上がると、その資産の価値も一緒に上がるか、それとも置いていかれるか」。価値が物価に連れて上がる資産はインフレに強く、額面が固定されている資産はインフレに弱い。この視点で、主な資産を順に見ていきましょう。
まず、インフレに弱い資産の代表が、前章で見た現金・預金です。額面が固定されているため、物価が上がっても1円も増えない(利息ぶんを除く)。インフレが進むほど、最も確実に購買力を失う。同じ理由で、固定金利の債券も、インフレ局面では弱い側に入ります。受け取る利息も満期の元本も額面で固定されているため、物価上昇に置いていかれやすい。「元本が保証されている」という安心の裏で、「購買力は保証されていない」のです。前章で見た通り、見た目の安全さと、実質の目減りが同居しているのが、この弱い側の資産の特徴です。
次に、インフレに強い資産。その代表が、株式と実物資産(不動産・金などのモノ)です。なぜこれらが強いのか。理由はそれぞれ違いますが、共通するのは「物価が上がると、その資産の値段や生み出す収入も、一緒に上がりやすい」という性質です。株式なら、物価が上がれば企業の売上や利益も名目上は増え、それが株価や配当に反映されていく。不動産なら、物価が上がれば家賃や物件価格も上がっていきやすい。金のような実物資産は、お金の価値が下がる局面で「モノそのものの価値」が見直されやすい。これらの資産は、インフレという「お金の価値が下がる動き」に対して、価値が一緒に動いてくれる(連動しやすい)から、購買力を守りやすいのです。これを専門的には「インフレヘッジ(インフレに対する備え)」と呼びます。
ここで、本シリーズで組み立ててきた「年金・家賃・株・現金」という四つの柱を、この物差しで見直してみましょう。すると、それぞれの役割がより立体的に見えてきます。現金は、流動性は最強だがインフレには最も弱い。年金は、物価にある程度連動するが、マクロ経済スライドで少し置いていかれる。家賃(不動産)は、物価とともに上がりやすくインフレに強い。株は、長期では物価を上回って成長する力を持つ、最も攻めのインフレヘッジ。つまり、私が繰り返し説いてきた「複数の柱で支える」発想は、「インフレに弱い柱と強い柱を組み合わせて、全体として購買力を守る」という意味でも、理にかなっていたのです。現金の流動性で日々の安全を確保しつつ、年金で土台を作り、不動産と株でインフレに価値が連動する部分を持つ。一本足ではなく、複数の足で立つことが、インフレという地面の傾きに対しても効いてくる。
ただし、強い資産にも当然リスクがあることを、私は正直に書いておきます。株式は、長期では物価を上回りやすい一方、短期では大きく値下がりすることがあります。不動産は、空室・修繕・流動性の低さといった影を抱える(これは前々回、大家としての経験から詳しく書いた通りです)。金は配当も家賃も生まないため、それ自体は収入を生まない。「インフレに強い」ことと「リスクがない」ことは、まったく別の話です。インフレヘッジになる資産は、たいてい価格が変動するリスクと引き換えに、その購買力維持の力を持っている。だからこそ、現金という安全資産と組み合わせ、自分が耐えられる範囲で、長い時間をかけて持つことが大切なのです。次の章では、なぜ株式と実物資産が、構造的にインフレに強いと言えるのか、その理由をもう一段深く掘り下げます。
株式・実物資産がインフレヘッジになる理由
前章で「株式と実物資産はインフレに強い」と整理しました。本章では、その「なぜ」を、私自身が腹落ちしている言葉で説明します。理由が分かれば、相場が下がった局面でも、慌てて売らずに持ち続ける胆力が生まれるからです。私が20年、投資家として相場の上げ下げに耐えてこられたのは、この「なぜ強いのか」を理解していたからにほかなりません。
まず、株式がインフレに強い理由です。株式とは、突き詰めれば「企業そのものの一部を持つこと」です。では、インフレが進むと、企業に何が起きるか。モノの値段が上がるということは、その企業が売る商品やサービスの値段も上がるということです。原材料費や人件費も上がりますが、競争力のある企業は、コスト上昇ぶんを販売価格に転嫁していける。すると、企業の売上も利益も、名目上は物価とともに増えていく。企業は、インフレの中で「値上げする側」に立てる存在なのです。あなたが現金を持って「値上げされる側」で購買力を削られている間、あなたが株を通じて部分的に所有している企業は、「値上げする側」で稼ぎを増やしている。この立場の違いこそが、株式がインフレヘッジになる本質です。そして、増えた利益は配当や株価を通じて、株主であるあなたに還元されていく。インフレで現金が溶けていく一方で、株主であるあなたの取り分は、物価とともに育っていく。これが、私が「複利は株主側で味方につけよ」と説き続ける、最も深い理由です。
次に、実物資産――特に不動産がインフレに強い理由です。不動産は「モノ」そのものであり、お金とは違います。お金の価値が下がる局面では、「実体のあるモノ」の値段は相対的に上がりやすい。さらに不動産には、株式と似た強みがあります。家賃という収入も、物価とともに上がっていきやすいのです。世の中の物価が上がれば、新しく結ぶ賃貸契約の家賃も、徐々に上昇していく。私が大家として20年見てきた肌感覚でも、長期では家賃も物価の波に乗って動いていきます。つまり不動産は、「物件価格」と「家賃収入」という二つの面で、インフレに価値が連動しやすい。前々回語った「終身の家賃」が、インフレ局面でも購買力を保ちやすい収入になりうるのは、この性質によるものです。金のような実物資産も、収入こそ生みませんが、「お金が信用を失う局面で、モノとしての価値が見直される」という形で、資産の一部を守る役割を果たします。
ここで、株式と実物資産に共通する、最も大事なキーワードを一つ挙げます。「物価に連動して育つキャッシュフロー(収入の流れ)を持っているか」です。株式は配当という、不動産は家賃という、物価とともに増えていきやすい収入の流れを持っている。だからインフレに強い。一方、現金や固定金利の債券は、額面が固定された、物価に連動しない収入(または無収入)しか持たない。だから弱い。インフレ対策の核心は、「物価とともに大きくなっていく収入の流れを、自分の資産の中にどれだけ組み込めるか」にある――私はそう理解しています。年金もまた、ある程度物価に連動するキャッシュフローでした。年金・家賃・配当という、性格の違う「育つ収入の流れ」を複数持つこと。それが、インフレという長く静かな逆風の中で、購買力を守り抜くための設計図なのです。
最後に、もう一度だけ釘を刺しておきます。これらは「長期で見たときの傾向」です。株価は短期では大きく下がることがあり、不動産も常に値上がりするわけではありません。インフレヘッジという言葉は「短期の値動きを打ち消す魔法」ではなく、「長い時間をかけて、購買力が物価に置いていかれるのを防ぐ性質」を指します。だからこそ、手元の流動性(現金)を確保したうえで、自分が耐えられる範囲の資金を、長い時間軸で、これらの「育つ資産」に置いておく。慌てず、しかし現金一本足で立ち止まりもしない。インフレに対しては、この「ゆっくり、でも確実に動いておく」姿勢こそが、最も効くと私は考えています。あくまで私個人の見解であり、投資には元本割れのリスクが伴います。ご自身の許容度に応じて、無理のない範囲で判断してください。
まとめ
年金とインフレ、そして現金主義が静かに負ける理由。本話の要点を整理します。
- インフレの正体:モノの値段が上がる現象であり、裏返せば「お金そのものの価値が下がる」こと。預金の数字は減らないのに、買えるモノの量だけが静かに減る「静かな税金」。年2%が20年続くと、現金の実質価値は約67%(3分の2)まで目減りする。
- 年金は完全な盾ではない:公的年金は物価にある程度連動するが、マクロ経済スライドにより上昇幅がわざと少し抑えられる。高齢者ほど値上がりの激しい品目に支出しがちで、二重に「置いていかれる」。土台としては優秀だが、隙間がある。
- 現金だけ持つ人が一番損をする:利息0.2%に対し物価が2%上がれば、実質で年1.8%ずつ購買力が減る。「元本割れしないから安全」は、インフレ時代の最大の落とし穴。流動性のための現金は確保しつつ、余剰まで現金で寝かせ続けないことが肝。
- 強い資産・弱い資産:現金・固定金利債券は額面固定でインフレに弱い。株式・不動産・金などの実物資産は、価値や収入が物価に連動しやすくインフレに強い。「年金・家賃・株・現金」を強弱で組み合わせ、全体で購買力を守る。
- 株式・実物資産が強い理由:株式は企業が「値上げする側」に立て、配当という育つ収入を生む。不動産は物件価格と家賃の二面で物価に連動する。核心は「物価とともに育つキャッシュフローを資産にどれだけ組み込めるか」。ただし長期の傾向であり、短期の値動きリスクは別問題。
このシリーズは、第1話で年金を「保険」として捉え直すところから始まり、制度の器を解剖し、年金・株・不動産・現金を一枚の地図に束ね、老後の必要額を自分の手で逆算するところまで進んできました。本話では、その逆算した必要額を静かに膨らませ、用意したはずの現金を音もなく削っていく「インフレ」という長く静かな逆風に、正面から向き合いました。改めて見えてくるのは、「何もしないこと=安全」ではないという逆説です。現金のまま立ち止まることは、インフレという逆向きの複利に、毎年確実に購買力を差し出し続けることにほかならない。複利を借り手側で敵に回さず、株主側・資産の持ち手側で味方につける――この本シリーズの根本原則は、インフレという文脈でこそ、最も鋭く効いてきます。
繰り返しになりますが、本記事は私個人の見解です。将来のインフレ率・為替・相場の動きを予測するものではなく、本話の数字例はあくまで考え方を示すための単純化したものです。株式・不動産などのインフレに強いとされる資産にも、価格変動による元本割れのリスクが伴います。まずはご自身の資産が「インフレに強い側」と「弱い側」にどう配分されているかを把握し、流動性を確保したうえで、必要に応じて金融機関・ファイナンシャルプランナーなど専門家の確認を踏まえて判断してください。
このシリーズを最初から読みたい方は第1話「そもそも年金とは何か――”保険”として捉え直す」から、全体像は年金で学ぶ資産形成シリーズのハブページへ。年金以外のテーマも含めた資産形成全体の入り口は資産形成の統合ハブにまとめています。
そして次回――ここまで、年金・株・不動産・現金という「お金と資産」の設計図を、十三話にわたって描いてきました。けれど、私が4人の子を育てながら、ずっと心の奥で問い続けてきたことがあります。子どもたちに、最終的に何を残すべきなのか。築いた資産そのものを残すのか、それとも、その資産を生み出し・守り・育てる「知恵」を残すのか。お金は使えば減り、相場が崩れれば目減りする。けれど、お金との向き合い方を知る知恵は、子どもの人生をその後ずっと支え続けます。資産か、知恵か――この、本シリーズで最も人間くさい問いに、ひとり親の父親として、正面から向き合います。第15話:子どもに残すべきは資産か知恵か へ続きます。


