地政学で学ぶ資産形成シリーズも、いよいよ第8話まで来ました。前回(第7話:最後のフロンティア・アフリカと長期投資の教訓)では、人口・資源・大国の外交という三つの切り口から、可能性と不安定さが同居する大陸を眺め、フロンティアの恩恵は分散で受け取るのが私の構えだ、という話をしました。今回は舞台を、特定の地域から「お金そのもの」へと移します。世界の取引の中心に座り続けてきた基軸通貨ドルと、石油をめぐるドルの仕組み——いわゆるペトロダラー体制の「いま」を、できるだけ中立的に掘り下げていきます。シリーズ全体の地図は地政学シリーズ ハブページからたどれます。
私は4人の子どもを育てながら、20年にわたって不動産の大家業、自分の事業、そして投資を続けてきました。妻を病気で亡くしてからは、「自分がいなくなっても子どもたちが困らないお金の仕組み」をどう作るかを、それまで以上に真剣に考えるようになりました。地政学を学ぶのは、どこかの国を持ち上げたり貶めたりするためではありません。世界のお金の流れがどんな力学で動いているのかを理解し、自分の資産を長い時間軸で守り、育てるためです。以下はあくまで私個人の見解であり、特定の通貨や投資を勧めるものではないことを、はじめにお断りしておきます。
基軸通貨とは何か——「みんなが使うから使う」自己強化の仕組み
まず、いちばん土台となる言葉から確かめておきましょう。「基軸通貨」とは何か。難しく定義する前に、ごく身近な感覚に引きつけて考えてみたいと思います。基軸通貨とは、世界中の人や企業や国が、国際的な取引をするときに「とりあえずこれを使っておけば間違いない」と自然に選ぶ、共通の物差しのようなお金のことです。いまその役割を担っているのが、米ドルです。
では、なぜドルが世界の共通の物差しになっているのか。理由はいくつもありますが、私がいちばん本質的だと感じるのは、「みんなが使っているから、自分も使う」という、ぐるぐると自分を強めていく仕組みです。少し不思議に聞こえるかもしれませんが、これは私たちの暮らしの中にもよくある現象です。たとえば、ある言葉が世界の共通語として広く使われていると、それを学べば多くの相手と話せるので、ますますその言葉を学ぶ人が増えていく。多くの人が使っているという事実そのものが、さらに多くの人を呼び込む。お金の世界でも、まったく同じことが起きています。
国際的な取引でドルが広く使われていれば、相手もドルなら受け取ってくれる可能性が高い。だから自分もドルで持っておこうとする。各国の中央銀行も、いざというときに使える備えとして、たくさんのドルを蓄えておこうとします。こうして「広く使われているから、信頼して使う」「信頼して使うから、ますます広く使われる」という循環が、長い時間をかけて分厚く積み上がってきました。基軸通貨の強さは、この自己強化の循環が生み出す、いわば慣性のようなものだと私は理解しています。一度この地位が固まると、そう簡単には揺らがない。けれど同時に、慣性で動いているものは、何かの拍子に流れが変われば、ゆっくりと向きを変えることもある——この両面を頭に置いておくことが、これからの話を冷静に見るうえで大切になります。
私はこの「みんなが使うから使う」という構造を、商売の中でも何度も感じてきました。取引の現場では、相手も自分も知っている共通のやり方、共通の通貨、共通の決済の仕組みがあると、それだけで物事が驚くほど滑らかに進みます。逆に、誰も使っていない独自のやり方を持ち出せば、いくらそれが理屈の上では優れていても、相手は警戒し、取引そのものが重くなる。便利さと信頼は、使われた量の上に積み上がっていくのだと、現場で何度も実感してきました。ドルの強さの根っこにあるのも、結局はこの「積み上がった量」なのだと思います。
ペトロダラー体制の「いま」——揺らぎはあるのか
次に、このシリーズの第1話でも触れた「ペトロダラー」という言葉を、改めて「現在地」という視点から見ていきます。第1話では、なぜ石油の取引が主にドルで行われるようになったのか、その成り立ちの経緯にも触れました。ですから本話では、その歴史をなぞり直すのではなく、「では、その仕組みはいま、どんな状態にあるのか」というところに焦点を絞りたいと思います。
ペトロダラー体制とは、ごく単純に言えば、世界の石油取引の多くがドルで決済されているという、長く続いてきた慣行のことです。世界の経済はエネルギーの上に成り立っています。第1話で確認したとおり、エネルギーは今も昔も国家の力と産業の土台です。その土台である石油を買うために、世界中の国がドルを必要とする。だからこそ各国はドルを蓄え、ドルへの需要が世界中で生まれ続ける。これが、ドルが基軸通貨であり続けるための、太い太い一本の柱になってきました。石油という、誰もが必要とするものの売り買いに、ドルが深く食い込んでいる——この事実が、前項で見た「みんなが使うから使う」という循環を、いっそう強く支えてきたのです。
では、この体制に揺らぎはあるのか。近年、ニュースなどで「ドル以外の通貨で資源を取引しようとする動きがある」といった話題を目にすることが増えました。実際に、一部の取引で別の通貨を使おうとする試みが報じられることもあります。こうした動きを大げさに「ペトロダラーの終わりの始まりだ」と語る論調も、世の中には少なくありません。けれど私は、ここで一歩立ち止まって、できるだけ冷静に構えたいと考えています。報じられる試みの多くは、世界全体の石油取引から見れば、まだごく一部にとどまっているというのが、私の理解です。
大切なのは、「変化の芽が出ていること」と「体制全体がすぐに崩れること」を、混同しないことだと思います。前項で見たとおり、基軸通貨の地位は、長い年月をかけて積み上がった分厚い慣性の上に立っています。慣性が大きいものは、新しい動きが少し出たくらいでは、簡単には向きを変えません。同時に、慣性で動いているものは、絶対に不変というわけでもない。だからこそ私は、「すぐに崩れる」と煽る声にも、「絶対に揺らがない」と決めつける声にも、どちらにも与せず、変化の芽は芽として静かに記録しながら、その重みを冷静に見積もる、という距離感を保つようにしています。これは特定の国の動きを良い悪いで評価することではなく、流れの大きさを見誤らないための、私なりの構えです。
ドル決済網という見えないインフラと制裁の力
ドルの強さを考えるうえで、もう一つ見落としてはならないものがあります。それは、ドルが取引されるときに通る「決済網」という、目には見えないインフラの存在です。私たちが普段、お金を送ったり受け取ったりするとき、その裏側では、銀行と銀行をつなぐ巨大な仕組みが動いています。国境を越える取引であれば、なおさらです。そして、ドルでの国際的な取引の多くは、ある特定の決済の仕組みを通って流れていきます。
この「決済網」というインフラは、普段は意識されることがありません。電気や水道と同じで、当たり前に動いているうちは、その存在すら忘れられている。けれど、いざそれが止まると、その重みが一気に浮かび上がります。国際的な取引において、もしこの決済網にアクセスできなくなれば、その相手はドルでの取引が事実上きわめて難しくなる。世界の取引の多くがドルで動いている以上、これは経済活動そのものに大きな影響を及ぼします。
ここから見えてくるのが、基軸通貨を持つということの、もう一つの側面です。基軸通貨であり、その決済網の中心にいるということは、単に便利だというだけではありません。それは、誰がその網を使えて、誰が使いにくくなるかに、影響を及ぼしうる立場でもある、ということです。近年、国際的な緊張が高まる局面で、この決済網へのアクセスが制限される——いわゆる経済制裁の手段として使われる場面が、たびたび報じられてきました。ドルと、その決済網は、経済の道具であると同時に、ある種の力としても機能しうる。この二面性を理解しておくことは、世界のニュースを読み解くうえで、とても役に立つと私は感じています。
ただし、ここでも私は、特定の制裁の是非を論じるつもりはありません。誰が正しく、誰が間違っているという話ではなく、私が注目したいのは構造のほうです。すなわち、「世界の決済の中心にいる通貨は、経済的な力であると同時に、政治的な力にもなりうる」という、繰り返し現れる構造です。そして、この「力としての側面」が見えてきたからこそ、それを使われる側の国々が、「ドルだけに頼る状態は、いざというとき危ういかもしれない」と考え始める——前項で触れた「脱ドル」の議論が世界の片隅で生まれてくる背景には、こうした事情もあるのです。便利さの裏に力が潜んでいると気づけば、人はその一本の柱だけに体重を預けることに、慎重になる。これはごく自然な反応だと、私は思います。
私はこの構造を、商売における「取引先への依存」の話として、いつも自分に引きつけて考えます。一つの大きな取引先に売上の大半を頼っていると、その相手と良い関係が続いているうちは、何の問題もなく、むしろ効率的に商売が回ります。けれど、その相手の方針一つで、こちらの暮らしが大きく揺らぐ。便利さと脆さは、同じコインの裏表なのです。だからこそ私は、商売でも投資でも、一本の太い柱に体重を預けすぎないことを、ずっと心がけてきました。国家の通貨をめぐる話も、本質は驚くほど似ていると感じます。
「脱ドル」の議論はどこまで現実的か——中立的検証
ここで、近年よく耳にする「脱ドル」という言葉を、できるだけ落ち着いて検証してみたいと思います。これは、ドルへの依存を減らし、別の通貨や仕組みで国際的な取引を進めようとする、いくつかの国の動きや議論を指す言葉です。世の中には、これを「ドルの時代の終わり」として大きく語る声もあれば、「とるに足らない動きだ」と切り捨てる声もあります。私は、そのどちらにも完全には与しません。両極端のあいだに、いくつかの段階を分けて考えることが、いちばん現実に近いと思うからです。
まず、「脱ドルの動きが、現実に存在すること」自体は、事実として認めてよいと思います。一部の国どうしが、自国の通貨で直接取引をしようと試みたり、ドルを介さない決済の仕組みを模索したりする動きは、たしかに報じられています。前項で見たとおり、決済網が力として使われうると分かれば、それに頼りすぎることへの警戒が生まれるのは自然なことです。ですから、こうした動きの「存在」を否定するのは、現実を見ていないことになります。
けれど、「動きが存在すること」と、「ドルの地位がすぐに置き換わること」のあいだには、とても大きな隔たりがあります。私が冷静に見ておきたいのは、この隔たりの大きさです。基軸通貨が基軸通貨であり続けるためには、ただ「みんなが使う」だけでは足りません。その通貨が安心して大量に持てること、いつでも自由に売り買いできること、価値が大きくは崩れないと多くの人が信じられること、そして何より、そうした信頼を支える厚みのある仕組みと長い実績があること——これらが、何十年という時間をかけて積み上がっている必要があります。新しい仕組みや別の通貨が、この厚みをすぐに肩代わりするのは、現実にはとても難しい。だからこそ、現時点での脱ドルの動きの多くは、「ドルへの依存を少しずつ和らげようとする試み」ではあっても、「ドルをすぐに玉座から引きずり下ろす力」には、まだ遠いというのが、私の率直な見立てです。
その一方で、私は「だから絶対に何も変わらない」と言い切るつもりもありません。歴史を長い目で見れば、世界の中心となる通貨が、何世代もの時間をかけて移り変わってきたことも事実です。いまの基軸通貨が永遠に不変だと信じ込むのは、それはそれで思考停止だと思います。変化は、起きるとしても、おそらく何年、何十年という、とてもゆっくりとした歩みで進む。だから私たちが取るべき態度は、「明日崩れる」と慌てることでも、「絶対に変わらない」と高をくくることでもなく、長い時間軸で静かに変化の方向を見守り続けること——これに尽きると、私は考えています。中立的に検証するとは、結局、どちらの極端な物語にも飲み込まれず、自分の目で流れの大きさと速さを見積もり続けることなのだと思います。
円とドルの非対称——資源を払う側の通貨の宿命
ここまで、ドルという世界の中心通貨の話をしてきました。けれど、このシリーズを読んでくださっているあなたが暮らし、稼ぎ、お金を蓄えているのは、おそらく円という通貨の世界です。そこで、視点を私たちの足元に引き寄せて、円とドルのあいだにある、ある「非対称」について考えてみたいと思います。これは、私が自分の資産を守るうえで、いつも頭の片隅に置いている論点です。
非対称とは、左右で重みが釣り合っていない、という意味です。円とドルのあいだには、いくつもの非対称があります。その中でも私がとりわけ重く見ているのが、「資源を払う側の通貨」という、円の置かれた宿命的な立場です。私たちの国は、暮らしと産業を動かすエネルギーや資源の多くを、外から買ってこなければなりません。そして、その石油をはじめとする資源の多くは、これまで見てきたとおり、ドルで取引されています。つまり私たちは、暮らしの土台となる資源を手に入れるために、まず円をドルに換えて支払う、という構造の中で生きているのです。
この構造は、円という通貨に、ある弱い立場を与えます。資源を売る側は、ドルを受け取る。資源を買う側である私たちは、円を差し出してドルを手に入れ、それで支払う。世界の取引の中心にドルがあり、その周りに、ドルを必要とする多くの通貨が控えている。円も、その「ドルを必要とする側」の一つです。世界の中心にいる通貨と、その中心の通貨を必要とする周りの通貨——この立場の違いが、円とドルの非対称の、根っこにあると私は理解しています。これは円が劣っているという話ではまったくなく、世界の通貨の並びの中で、どの位置に立っているか、という構造の話です。
では、この非対称は、私たちの暮らしに何をもたらすのか。いちばん身近に現れるのが、為替の動きを通じた、暮らしへの影響です。もし円の価値がドルに対して下がれば——いわゆる円安が進めば——同じ量の資源を買うのに、より多くの円が必要になります。エネルギーの値段が上がり、輸入される多くのものの値段が上がり、巡り巡って、私たちの暮らしのあちこちに、じわりと負担が及んでいきます。資源を払う側の通貨で暮らしているということは、世界の通貨の力関係が変わるたびに、自分の暮らしの購買力——つまり、同じお金でどれだけのものが買えるか——が、静かに揺さぶられうる、ということなのです。
私はこの「円の購買力が静かに揺さぶられる」という現実を、家計を守る側の人間として、決して軽くは見ていません。声高に騒ぐような話ではありませんが、長い時間軸で見れば、円だけで資産を持っていることには、購買力が目減りしていくかもしれないという、静かなリスクが伴います。これは、誰かを責める話でも、悲観する話でもなく、ただ世界の構造を直視した上での、冷静な事実認識です。そして、この事実認識こそが、次の項で話す「投資家としての構え」へと、まっすぐつながっていきます。
投資家の教訓——ドル建て資産を自然に持つ意味
さて、ここまで見てきた話から、投資家として何を学び取れるでしょうか。基軸通貨ドルの強さと、その慣性。揺らぎの芽はありつつも、すぐには動かない体制。決済網という見えない力。そして、資源を払う側である円が抱える、購買力の静かなリスク。これらを一本の線でつないだとき、私がたどり着く教訓は、とてもシンプルなものです。それは、「円だけに偏らず、ドル建ての資産を、自然なかたちで持っておく」という構えです。
誤解しないでいただきたいのですが、これは「ドルを買って為替で儲けよう」という、短期の値動きを狙う話ではまったくありません。むしろ逆です。為替がこれから上がるか下がるかを当てにいくのは、私の考えでは、当てにいってはいけない種類のものです。短期の為替の動きは、世界中の無数の事情が絡み合って決まるもので、誰にも正確には読めません。私が言いたいのは、当てにいくのではなく、「結果として、円とドルの両方に資産が分かれている状態」を、自然に作っておく、ということです。前項で見た円の購買力リスクへの、静かなヘッジ——備えです。
では、どうすればそれが「自然に」できるのか。ここで、シリーズを通じて何度も登場してきた考え方が、また生きてきます。第5話や第7話でも触れた、米国の代表的な企業に幅広く投資するS&P500や、全世界の株式に分散する全世界株式(いわゆるオルカン)といった、指数に連動するかたちで広く投資する考え方です。ここで、多くの人があまり意識していない、けれどとても大切な事実をお伝えしたいと思います。これらの指数に連動する資産は、その中身の多くが、ドルをはじめとする外貨で取引される株式でできている、ということです。
つまり、こうした世界株式の器を、円で買って持っているつもりでも、その中身は実質的に、ドルなどの外貨で動く資産を内包しているのです。これが何を意味するか。もし円安が進めば——円の購買力が下がれば——その内包された外貨建ての中身が、円に換算したときの価値を押し上げる方向に働きます。資源を払う側の通貨で暮らす私たちにとって、円安は暮らしの負担になりうると前項で書きました。けれど、世界株式という器をあわせて持っておけば、その同じ円安が、資産の側では円換算の価値を支える方向に働く。暮らしで受ける逆風を、資産の側でそっと和らげる——これが、私の言う「ドル建て資産を自然に持つ意味」です。為替を当てにいくのではなく、世界全体の器を持つことの副産物として、円安への静かなヘッジが、自然と組み込まれていくのです。
この構えの良いところは、誰がいつ何をするかを当てる必要が、まったくないことです。ペトロダラー体制がこの先どう変化するか。脱ドルの議論がどこまで進むか。為替が来月どちらに動くか。これらはどれも、正確に当てることのできないものばかりです。けれど、世界全体に幅広く分散した器を、長い時間をかけて持ち続けていれば、世界の中心通貨がどう動こうと、その大きな流れの恩恵も、変化への備えも、薄く広く自分の中に取り込まれていきます。当てにいかず、漏らさず拾う——シリーズを通じて繰り返してきたこの姿勢が、通貨の話でもそのまま生きるのです。
そして、ここでも時間の話を添えておきます。基軸通貨の地位も、円とドルの力関係も、何年、何十年という長い時間をかけて、ゆっくりと姿を変えていくものです。短期の為替の見出しに一喜一憂していては、こうした大きな潮流は見えてきません。複利は、借り手の側に立てば恐ろしい敵ですが——円の購買力がじわじわ目減りしていく力を思い出してください、それは円だけで現金を抱える人にとって、静かに効いてくる逆向きの複利のようなものです——世界全体の成長に資産を委ねる株主の側に立てば、これ以上ない味方になります。揺れる通貨の動きを直接当てにいくのではなく、世界全体の長い成長を、時間を味方につけて取り込んでいく。だからこそ私は、円の購買力の静かな目減りに対して、慌てず騒がず、世界株式という器でそっと備えておくのです。もちろんこれは私個人の考え方であり、最終的な判断は一人ひとりの状況に応じて、ご自身で行ってください。
私が子どもたちに残したいのは、「為替の先を読む才能」でも「次の基軸通貨を当てる眼力」でもありません。世界のお金の中心がどう動こうと、慌てずにその変化と付き合っていける構え——円という一つの通貨だけに体重を預けず、世界全体に資産を分けて持っておく落ち着き。そのほうが、私がいなくなった後も、ずっと長く彼らを支えてくれるはずだと信じています。
まとめ
第8話では、世界経済の土台を支え続けてきた基軸通貨ドルと、石油をめぐるペトロダラー体制の「現在地」を、できるだけ中立的に見てきました。ドルの強さの根っこには、「みんなが使うから使う」という、自分で自分を強めていく分厚い慣性があります。石油取引の多くがドルで決済されてきたことが、その慣性をさらに支えてきました。脱ドルの動きの芽は確かに存在しますが、長い年月をかけて積み上がったドルの地位を、すぐに置き換えるほどの力には、まだ遠いというのが私の見立てです。同時に、決済網が力として機能しうるという二面性や、世界の通貨の並びは何十年という時間で移り変わってきたという歴史も、忘れてはならない論点です。
そして、資源を払う側の通貨である円には、世界の力関係が変わるたびに、暮らしの購買力が静かに揺さぶられうるという、構造的な立場があります。だからこそ投資家として導かれる教訓は、円だけに偏らず、ドル建ての資産を自然なかたちで持っておく、ということです。S&P500やオルカンのような世界株式の器は、その中身に外貨建ての資産を内包しているため、円安が進む局面では、円換算の資産価値を支える方向に働きます。暮らしで受ける逆風を、資産の側でそっと和らげる——為替を当てにいくのではなく、世界全体を持つことの副産物として、円の購買力低下への静かなヘッジが自然に組み込まれる。これが、私がこの話から受け取る最大の教訓です。当てにいかず、漏らさず拾い、時間を味方につける——通貨という、世界経済の最も土台に近いテーマに対しても、私はこの同じ構えで向き合っています。
さらに学びを深めたい方は、シリーズの出発点である第1話:地政学と資産形成の入り口から読み返してみてください。ペトロダラー成立の経緯も、第1話で触れています。シリーズ全体の地図は地政学シリーズ ハブページに、関連する資産形成の考え方は資産形成 統合ハブにまとめてあります。
次回は、お金の歴史の中でもっとも長く価値の象徴であり続けてきた、ある特別な金属に目を向けます。第9話:金(ゴールド)と中央銀行 へ続く。通貨の信頼が揺れるとき、人々がなぜ金へと向かうのか——引き続き一緒に見ていきましょう。


