なぜアメリカは行動が速いのか|失敗コストの低い社会・アメリカから学ぶ資産形成シリーズ第6話

投資・資産運用

4児を育てるシングルファーザーで、20年来の大家・事業主・投資家でもある私です。妻を病気で亡くしてから、家族のお金を一人で守る重みを毎日噛みしめながら、一つひとつの判断を積み重ねています。このシリーズでは「なぜアメリカ人は当たり前のように株を持っているのか」を、制度・文化・歴史のさまざまな角度から掘り下げてきました。

前回の第5話では、401(k)やIRAといった制度が、給与天引きと自動加入を通じて国民を「自然に株主」に変えていく仕組みを見ました。今回はもう一歩引いて、「なぜアメリカという国は、そもそも行動が速いのか」という問いに向き合います。失敗のコストが低い社会の構造が、挑戦の総量を増やし、結果として経済全体の活力を生んでいる——そんな話です。シリーズ全体の地図はシリーズハブからたどれますので、途中からの方はそちらもどうぞ。

あらかじめお断りしておくと、ここに書くのはあくまで私個人の見解であり、特定の国の制度や金融商品の利用を勧めるものではありません。社会のあり方には功罪の両面があり、どちらが優れているという単純な話でもありません。投資には元本割れのリスクがあり、最終的な判断はご自身の状況に合わせて、必要なら専門家にも相談しながら行ってください。それを踏まえたうえで、私が20年の投資・事業・大家経験から「これは経済の根っこに効いている」と感じてきたことを、率直にお伝えします。


解雇も起業も身軽な国——労働市場の流動性

アメリカという国を眺めていて、まず私が感じるのは「人と仕事の結びつきが、良くも悪くも軽い」ということです。日本に比べると、アメリカでは解雇のハードルが低く、その代わりに転職や再就職も活発に行われます。人が会社を移ること、会社が人を入れ替えること、その両方が「特別なこと」ではなく「日常」として回っている社会だと、私は理解しています。

この「身軽さ」は、起業の場面でとりわけ際立ちます。新しい事業を思いついた人が、勤め先を辞めて挑戦し、うまくいかなければまた別の会社に勤める——そうした行き来が、比較的スムーズにできる。雇う側も、事業の状況に応じて人を増やしたり減らしたりしやすい。人材という資源が、必要な場所へ素早く流れていくのです。

「流動性」は冷たさではなく、機会の多さでもある

解雇しやすい社会と聞くと、日本人の感覚では「冷たい」「不安だ」と感じる方が多いと思います。私も最初はそう感じました。けれども事業を20年やってきて、見方が少し変わりました。労働市場の流動性が高いということは、裏を返せば「やり直しの入り口がたくさん開いている」ということでもあるのです。

一度勤めた会社を辞めても、次の働き口がすぐに見つかる。失敗した事業を畳んでも、また雇ってもらえる場所がある。この「次がある」という感覚が、人々に挑戦のハードルを下げさせます。私自身、事業を立ち上げるとき、いちばん怖かったのは「失敗したら後がない」という退路のなさでした。アメリカ社会は、その退路を制度と慣行の両面である程度確保している。だからこそ、人は思い切って前に出られるのだと感じます。

流動性の高い社会は、確かに安定感には乏しい。けれど、その不安定さと引き換えに「もう一度やれる」という機会の総量を増やしている。私はこのトレードオフを、頭ごなしに否定はできないと思っています。

投資家の視点で見れば、人材が素早く流れる経済は、新しい産業が立ち上がるたびに必要な人手を確保できる経済でもあります。成長の芽が出たとき、その芽に資源が集まりやすい。これは長期的に見て、経済全体の成長力を底上げする要素だと私は捉えています。こうした「成長の芽に資源が集まる経済」の果実を、個別企業を選ばずに丸ごと受け取る方法があります。S&P500やオルカン(全世界株式)のインデックスに長期で積み立てておくことです。私自身も、新NISAのつみたて投資枠でこの方法を淡々と続けています。

「失敗は再挑戦の入り口」という空気が挑戦の総量を増やす

制度の話に加えて、私がアメリカについて強く感じるのは「失敗に対する空気の違い」です。日本では、事業に失敗したり会社を辞めたりすると、どこか「傷」のように扱われがちです。一方アメリカでは、失敗は「学んだ経験」「次への入り口」として、比較的前向きに語られる傾向があると言われます。

もちろん、これはあくまで一般的な傾向の話で、現実のアメリカにも失敗を恐れる人はいるでしょう。けれど社会全体の「空気」として、再挑戦を許容する度合いが高い——この差は、挑戦の総量に確実に効いてくると私は考えています。

恥の重さが、挑戦のブレーキになる

私が4人の子どもを育てながら事業を続けてこられたのは、正直に言えば「失敗しても家族を路頭に迷わせない」という土台を、慎重に作ってきたからです。それでも新しいことに踏み出すたび、頭をよぎるのは「うまくいかなかったとき、周りからどう見られるか」という恐れでした。日本社会には、この「失敗への恥」がまだ重く残っていると感じます。

失敗のコストには、お金の損失だけでなく、こうした「社会的な評価の毀損」も含まれます。むしろ後者のほうが、人の足を止める力は強いのかもしれません。再挑戦を許す空気がある社会では、この心理的なコストが軽い。だから人は、一度の失敗を恐れずに何度でもバッターボックスに立てるのです。

打席に立つ回数が多ければ、その分ヒットの数も増える。挑戦の総量が多い社会ほど、成功の絶対数も多くなる——これはとても単純な算数だと、私は思っています。

「失敗を語れる」ことの強さ

事業をやっていると、成功談よりも失敗談のほうが、はるかに学びが深いと痛感します。何がまずかったのか、どこで判断を誤ったのか——失敗の中にこそ、次に活きる教訓が詰まっています。失敗を隠さず語れる社会は、その教訓を社会全体で共有できる社会でもあります。

誰かの失敗が、別の誰かの挑戦を一歩前に進める。こうした知見の循環が回る社会は、個々人が孤独に同じ失敗を繰り返す社会よりも、確実に学習が速い。私はここに、アメリカ経済の「行動の速さ」の源泉の一つを見ています。

一国の挑戦の空気を、私たち個人が変えるのは難しいことです。けれど、その空気が生み出す経済全体の成長には、株主として乗ることができます。挑戦の総量が多い経済の果実を、個別の成功・失敗を当てに行かずに広く拾う——S&P500やオルカンへの長期・分散・積立は、まさにそのための合理的な手段だと私は考えています。

終身雇用・年功序列が日本に残したもの、奪ったもの

では、日本はどうでしょうか。戦後の日本経済を支えてきたのが終身雇用と年功序列という仕組みであることは、よく知られています。一つの会社に長く勤め、年齢とともに給与が上がっていく。この仕組みは、高度成長期の日本に大きな安定と成果をもたらしました。私はこれを、頭ごなしに「古い」と切り捨てるつもりはありません。

終身雇用が日本に残したものは、確かにありました。働く人の生活の安定、企業への帰属意識、長期的な技能の蓄積。腰を据えて一つの仕事を極められる環境は、ものづくりの現場などで大きな強みになってきました。安心して家庭を築けるという意味で、社会全体の土台としても機能してきたと思います。

安定の代償としての「動けなさ」

一方で、この仕組みが奪ったものもあります。それは「身軽に動く力」です。一つの会社に長くいることが前提になると、転職は「裏切り」や「我慢が足りない」と見られがちになります。年功で給与が上がる仕組みは、長くいるほど辞めにくくする「縛り」としても働きます。結果として、人も、人が持つ知見も、組織の中に留まりやすくなる。

大家として物件を持っていると、「空室を埋められない物件」と「すぐ次の入居者が決まる物件」の差を痛感します。流れの悪い場所は、たとえ今は埋まっていても、環境が変わったときに身動きが取れません。労働市場も似ていて、人が動きにくい社会は、新しい産業が生まれたときに必要な人材を素早く回せない。安定と引き換えに、変化への対応力を一部手放しているのだと、私は理解しています。

観点 終身雇用・年功序列(日本) 流動的な労働市場(アメリカ)
働く人の安心感 高い(長期の生活設計がしやすい) 低め(自分で備える必要がある)
挑戦・転職のしやすさ しにくい(縛りが強い) しやすい(次の機会が多い)
技能の蓄積 長期で深く積み上がりやすい 幅広いが浅くなりやすい面も
変化への対応力 遅くなりやすい 速い

どちらが正しいかではなく、何を選ぶか

私はここで「日本は遅れている」「アメリカが正しい」と言いたいわけではありません。どちらの仕組みにも功罪があり、社会がどんな価値を優先するかで答えは変わります。安定を重んじるなら終身雇用には大きな美点があり、活力を重んじるなら流動性には強みがある。大切なのは、自分が置かれた環境の特徴を正しく理解し、その上で個人としてどう備えるかを考えることだと思います。

そして、ここに一つの示唆があります。終身雇用が揺らぎつつある今、私たち日本に暮らす人間も、会社だけに頼らない「もう一つの収入の柱」を持っておく意味が増している、ということです。私にとってそれは、大家業であり、事業であり、そして株主として受け取る配当や値上がりです。会社の安定が絶対ではなくなった時代に、自分の判断で経済の成長に乗っておく。その手段として、S&P500やオルカンへの長期積立は、会社員・自営業を問わず誰にでも開かれた道だと私は考えています。

失敗コストが低い国ほど、大きな成功も生まれやすい

ここまでの話を一本の線でつなぐと、一つの仮説が見えてきます。それは「失敗のコストが低い社会ほど、大きな成功も生まれやすい」というものです。これは私が事業と投資の両方をやってきて、肌で感じてきた経験則でもあります。

大きな成功は、たいてい大きな挑戦から生まれます。そして大きな挑戦には、大きな失敗のリスクが必ず伴います。もし失敗のコストが高すぎる社会なら、人は怖くて大きな挑戦に踏み出せません。みんなが「無難な選択」ばかりするようになり、結果として大化けする成功も生まれにくくなる。逆に、失敗してもやり直せる社会なら、人は思い切った挑戦に出られる。挑戦の数が増えれば、その中から飛び抜けた成功が出てくる確率も上がります。

「打席数」を増やす社会設計

野球にたとえるなら、ホームランは打席に立たなければ生まれません。三振を恐れて打席に立たない選手からは、ヒットもホームランも出ない。社会全体で見れば、失敗コストを下げることは「打席に立つ人を増やす」ことに等しいのです。

アメリカが次々と新しい産業や企業を生み出してきた背景には、この「打席数の多さ」があると私は見ています。失敗が致命傷になりにくいから、多くの人が、何度も、思い切って打席に立つ。その膨大な打席の中から、世界を変えるような企業がときどき生まれてくる。一つの大成功の裏には、語られない無数の失敗が積み重なっている——これが、活力ある経済の正体だと感じます。

成功は確率の産物です。打席数を増やせば、当たりが出る回数も増える。社会が失敗を許すほど、社会全体の打席数が増え、結果として大きな成功の数も増える。私はこれを、精神論ではなく確率の話として捉えています。

個人としての「失敗コスト管理」

一方で、私が4人の子を持つ親として強く意識しているのは、「挑戦は大胆に、しかし失敗コストは自分で管理する」という姿勢です。社会が失敗を許してくれるかどうかとは別に、自分の家計が一度の失敗で崩れないように設計しておく。これは個人の責任の領域です。

具体的には、生活防衛資金を厚めに確保し、万一に備える現金を先に取り分けたうえで、余力の範囲で挑戦する。借金をして大勝負に出るような真似は、私はしません。借りた以上に確実に増やせる見込みがある場合を除いて、借金で挑戦のコストを膨らませるのは、複利を敵に回すことだと考えているからです。失敗コストを自分でコントロールできる範囲に保つこと——これが、長く挑戦を続けるための私なりの鉄則です。

そして、こうした「個人の失敗コスト管理」と、社会の活力に乗る方法は両立します。自分の事業や挑戦のリスクは慎重に抑えつつ、経済全体の成長の果実は、S&P500やオルカンへの分散・積立で広く受け取る。一社の成否に賭けないからこそ、安心して長く市場に居続けられる。私はこの組み合わせを、地味ですが堅実な道だと考えています。

新陳代謝の速さが、企業の入れ替わりを生む

失敗コストの低さがもたらすもう一つの大きな効果が、経済の「新陳代謝」の速さです。新しい企業が次々と生まれ、古くなった企業は退場していく。この入れ替わりが活発であることは、経済全体の若さと活力を保つうえで、決定的に重要だと私は考えています。

アメリカの株式市場を長い目で眺めると、時代を代表する企業の顔ぶれが、数十年単位でずいぶん入れ替わってきたことに気づきます。かつて市場の中心にいた企業が脇に退き、当時は無名だった企業が頂点に立つ。この激しい入れ替わりは、失敗コストの低い社会が挑戦を促し、その中から新しい勝者が生まれ続けることの裏返しです。

大家業で学んだ「新陳代謝」の感覚

新陳代謝の大切さは、大家業でも痛感してきたことです。古くなった設備を更新せず、入居者の入れ替わりも放置していると、物件は静かに価値を失っていきます。逆に、傷んだ部分を直し、退去があれば新しい入居者を迎え入れる——この循環を回し続けることで、物件は活力を保ちます。経済も同じで、古いものが居座り続け、新しいものが入ってこない状態は、緩やかな衰退につながると感じます。

新陳代謝が速い経済では、衰退する企業が市場の重しになり続けることが少なく、成長する企業が次々と前面に出てきます。市場全体としては、常に「今もっとも勢いのある企業群」によって牽引される構造になる。これが、市場が長期的に成長し続ける一つのからくりだと、私は理解しています。

「勝者を当てる」必要はない

ここで多くの人が悩むのが、「では、どの企業が次の勝者になるのか」という問題です。けれど、20年投資をやってきた私の正直な結論は、「次の勝者を事前に当てるのは、プロでも極めて難しい」ということです。入れ替わりが激しいということは、それだけ予測が外れやすいということでもあります。

だからこそ、私は個別企業を当てに行くより、市場全体を丸ごと持つ方法を選んできました。新陳代謝の中で、どの企業が勝ち上がってきても、市場全体を持っていれば、その勝者は自動的に自分の保有分の中に含まれます。負けた企業の影響は薄まり、勝った企業の成長は取り込める。この「入れ替わりを丸ごと受け止める」発想が、インデックス投資の核心だと感じています。

戦略 新陳代謝への向き合い方 必要なこと
個別企業を選ぶ 次の勝者を自分で当てに行く 高い目利きと継続的な分析・運
市場全体を持つ 勝者の入れ替わりを丸ごと取り込む 長期で淡々と積み立て、原則さわらない

S&P500のような指数は、定期的に構成銘柄が見直され、勢いを失った企業は外れ、伸びてきた企業が組み入れられていきます。つまり指数そのものが、経済の新陳代謝を自動で反映してくれる仕組みになっているのです。オルカンならその対象が全世界に広がります。新陳代謝の果実を丸ごと拾うという意味で、これほど理にかなった器はないと私は考えています。

投資家は「速い国」の果実だけ受け取れる

さて、ここまで「行動が速い社会」の構造を見てきました。最後に、私が投資家としていちばん伝えたいことをお話しします。それは「私たちは、その国に住んでいなくても、株主として『速い国』の果実だけを受け取ることができる」という事実です。

アメリカの労働市場の流動性も、失敗を許す空気も、激しい新陳代謝も——これらは確かに大きな成長を生みますが、その渦中で暮らす人々は、解雇の不安や再就職の苦労といった「痛み」も同時に引き受けています。活力の裏には、相応の不安定さがあるのです。

痛みは現地に、果実は世界中の株主に

ところが、株主という立場は不思議なものです。私たちは日本に暮らしながら、アメリカ経済の活力が生み出した成長の果実を、株式を通じて受け取ることができます。解雇される不安も、起業の重圧も背負わずに、その経済が長期的に成長した成果だけを、配当や値上がりという形で享受できる。痛みは現地の人々が引き受け、果実は世界中の株主が分かち合える——これが、株式市場という仕組みの懐の深さだと私は感じています。

投資家になるということは、世界中の優れた経済の活力に「相乗り」させてもらうことだと、私は思っています。自分が一からその国を作る必要はない。すでにそこにある活力に、株主として静かに乗せてもらえばいい。

もちろん、これは「いいとこ取り」ができるという意味ではありません。株主は、経済が成長すれば果実を受け取れる代わりに、株価が下落すれば資産が目減りする痛みも引き受けます。暴落の局面では、現地の人々とはまた違った種類の不安を味わうことになります。それでも、長期で見れば、活力のある経済に乗り続けることの価値は大きいと、私は20年の経験から信じています。

「乗り方」を間違えないために

では、どう乗ればいいのか。私の答えはこれまでと同じです。S&P500でアメリカ経済の活力に乗るも良し、オルカンで全世界の活力に分散して乗るも良し。長期・分散・積立を守り、設定したら原則さわらない。新陳代謝も、勝者の入れ替わりも、指数が自動で反映してくれます。私たちがやるべきは、無理のない範囲で淡々と積み立て、時間を味方につけることだけです。

ここでも私は、自分への戒めを忘れません。果実が魅力的だからといって、生活防衛資金を削ったり、借金をしてまで投資額を膨らませたりはしない。複利を株主として味方につける一方で、借り手として敵に回すことは徹底して避ける。活力ある経済に乗るのは、あくまで自分の家計の土台が固まったうえでの「余力」の話です。この順番を守る限り、「速い国」の果実は、日本に暮らす私たちにも十分に開かれていると考えています。

まとめ——速さの正体は「失敗の許され方」にあった

今回お伝えしたかったのは、アメリカの「行動の速さ」の正体は、単なる国民性や精神論ではなく、「失敗のコストが低い社会の構造」にある、ということです。労働市場の流動性が人材を素早く流し、失敗を許す空気が挑戦の総量を増やし、その積み重ねが激しい新陳代謝を生む。一つひとつは地味な要素ですが、つながると経済全体の活力になります。

一方で、終身雇用・年功序列に支えられてきた日本には、安定という大きな美点があります。どちらが正しいという話ではなく、それぞれの社会が何を優先してきたかの違いです。大切なのは、自分が置かれた環境を正しく理解し、その上で個人としてどう備えるかを考えることだと、私は思っています。

そして、最も伝えたかったのは、私たち投資家は「速い国」の果実だけを株主として受け取れる、という事実です。痛みは現地に、果実は世界中の株主に。S&P500やオルカンへの長期・分散・積立を通じて、活力ある経済の成長に静かに相乗りする。複利を借り手として敵に回さず、株主として味方につける。生活の土台を固めたうえで、無理のない範囲で枠を使い、設定したら原則さわらない。地味ですが、これが20年の試行錯誤の末に私がたどり着いた、確実な乗り方です。

繰り返しになりますが、本記事は私個人の見解であり、特定の国の制度や金融商品の利用を勧めるものではありません。社会のあり方には功罪の両面があり、投資には元本割れのリスクがあります。ご自身の状況に合わせて、必要なら専門家にも相談しながら判断していただければと思います。


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