「年金制度から学ぶ資産形成シリーズ」も、今回でついに最終回を迎えます。第1話から第14話まで、年金という制度を入り口にして、私たちの暮らしとお金の関係を一つひとつほどいてきました。長い道のりにお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
前回の第14話では、「老後の不安」とどう向き合うかという、シリーズの締めくくりに向けた話をしました。これまでの全話の見取り図はシリーズ・ハブ記事にまとめてありますので、迷ったらそこに戻っていただければと思います。
最終回となる今回は、シリーズ全体を振り返りながら、私が4児の父として、そして妻を病気で亡くした一人の人間として、どうしても伝えておきたかった結論を書きます。テーマは一つ──「子どもに残すべきは資産か、知恵か」。私の答えは、もうこの連載を通してにじみ出ているかもしれません。
※以下はあくまで私個人の見解です。年金をはじめとする社会保障制度は将来改正される可能性があり、本記事の内容も執筆時点の理解にもとづくものです。投資判断や家計の意思決定はご自身の状況に合わせ、必要に応じて専門家にご相談ください。
① 全14話の総まとめ「年金は破綻しないが、頼り切れもしない」
まず、このシリーズで一貫して伝えてきた最大のメッセージを、一文に凝縮します。それは──「公的年金は破綻しない。だが、それだけに頼り切ることもできない」という、ある種の中間地点に立つ姿勢です。
世の中には、年金をめぐって両極端の声があふれています。一方には「どうせ年金なんてもらえない、払うだけ損だ」という破綻論。もう一方には「国がなんとかしてくれるから何も心配いらない」という楽観論。私はそのどちらにも与しません。20年にわたって投資をし、事業を営み、家族を養ってきた経験から言えば、現実はもっと地味で、もっと冷静なところにあります。
第2話から第6話あたりで詳しく見たように、日本の公的年金は「賦課方式」を土台にしています。今働いている世代が納める保険料が、今の高齢者の年金を支える仕組みです。少子高齢化が進めば、確かに一人の現役世代が支える高齢者の数は増えます。しかし「支える人が減るから即破綻」という単純な話ではありません。マクロ経済スライドという調整の仕組みがあり、給付水準を緩やかに抑えながら制度を持続させる設計になっています。
少し具体的な数字を置いておきます。国民年金(基礎年金)の保険料は、令和の現在で月額およそ1万6,000円台、厚生年金の保険料率は労使合わせて18.3%で固定されています。会社員であれば、このうち半分を勤め先が負担してくれている。つまり、自分が払っている額と同じだけを会社も払い込んでくれているわけで、これを「払うだけ損」と切り捨てるのは、半分タダで積み立ててもらえる仕組みを自ら捨てるようなものなのです。私は事業主として従業員の社会保険料を負担する側にも立ってきましたから、この「労使折半」の重みは身に染みて分かります。
つまり、年金は「金額が目減りする可能性はあっても、ゼロになって消えてしまう」ものではない。これがシリーズを通して確認してきた事実です。一方で、現役時代と同じ生活水準を年金だけで維持できるかと言えば、それは難しい。標準的な世帯のモデル年金は月22万円前後とされますが、これはあくまで「標準」であって、誰もがこの額を受け取れるわけではありません。だからこそ「頼り切れもしない」のです。破綻を煽る言葉に踊らされて保険料の支払いをやめてしまうのは、自分の老後を守る最強の盾を、自ら手放すのと同じだと私は考えています。子どもたちにも、私は折に触れてこう話します。「ニュースの見出しの大きさと、制度の本当の姿は別物だよ」と。
② 公的年金=最強の終身保険という再評価
このシリーズで私がもっとも声を大にして言いたかったことが、この「再評価」です。公的年金を「投資商品」や「貯金」として見ると、利回りがどうの、元が取れるのどうの、という損得勘定の話になりがちです。けれど、年金の本質はそこにはありません。
公的年金は、民間では決して作れない「最強の終身保険」だ──これが私の結論です。
第8話・第9話で触れたように、公的年金には民間の金融商品が逆立ちしても真似できない三つの強みがあります。一つ目は「終身」であること。何歳まで生きても、生きている限り死ぬまで給付が続きます。長生きはリスクであると同時に幸せでもありますが、その「長生きリスク」を丸ごと引き受けてくれる商品は、民間には存在しません。民間の終身年金保険もありますが、運営コストや予定利率の制約から、公的年金ほど手厚い給付を同じ保険料で得るのは不可能に近いのが実情です。
二つ目は「物価・賃金にある程度連動する」こと。完全ではないにせよ、インフレで現金の価値が目減りしていく局面で、年金額が一定の調整を受けるのは、自分でタンス預金を抱えているのとは比べ物にならない安心感です。仮に年2%のインフレが20年続けば、現金の実質価値はおよそ3分の2に縮みます。タンス預金100万円は、20年後には実質67万円ほどの買い物しかできなくなる計算です。公的年金は、この目減りに対して一定の防御を持っている。これは見過ごせない価値です。
そして、ここで私が必ず付け加えたいのが「繰下げ受給」という選択肢です。年金は原則65歳から受け取れますが、受給開始を66歳以降に遅らせると、1か月ごとに0.7%ずつ増額され、最大の75歳まで繰り下げれば、なんと本来の額より84%も増えた額を、その後の生涯にわたって受け取り続けられます。70歳まで繰り下げれば42%増です。逆に60歳から繰り上げて早くもらうこともできますが、その場合は減額され、しかも減った額が一生続きます。健康に働けて、当面の生活に余裕があるなら、私は「繰下げ」という選択肢を本気で検討する価値があると考えています。これは民間の保険では決して得られない、終身で42%・84%増という破格の「利回り」なのですから。
三つ目は、障害年金・遺族年金という「保険」の側面です。これは私自身が、当事者として痛感したことでもあります。私は妻を病気で亡くしました。残された4人の子どもを一人で育てる立場になったとき、遺族年金という制度がどれだけ家計の土台を支えてくれたか。それは数字以上の意味を持っていました。「老後にもらうお金」という顔だけが年金ではない。働き盛りの今、もしものことがあったときに、残された家族を守る仕組みでもあるのです。年金を単なる老後資金として損得で語る視点からは、この価値はこぼれ落ちてしまいます。あの時期、口座に振り込まれる遺族年金を見るたびに、私は「制度に支えられている」という実感を、頭ではなく身体で理解しました。
③ だからこそ自助努力(iDeCo/NISA)を重ねる
公的年金が最強の終身保険である──そう言うと、「じゃあ年金さえあれば自分で備える必要はないのか」と受け取られそうですが、それは違います。むしろ逆です。公的年金という強固な土台があるからこそ、その上に自助努力を「重ねる」意味が生まれるのです。
第10話から第13話にかけて、iDeCoとNISAの使い方を具体的に見てきました。年金を「一階部分」とすれば、iDeCoやNISAは「二階・三階部分」です。一階だけでは現役時代の生活水準を保てない。だからその差を、自分の手で埋めていく。これが自助努力の正体です。
ここで、複利の効果を具体的な金額で見てみましょう。たとえば毎月3万円を、年率5%で30年間積み立て続けたとします。元本は3万円×12か月×30年で1,080万円。ところが複利で運用が回ると、最終的な資産はおよそ2,500万円前後に育ちます。投じた元本の倍以上です。差額の約1,400万円は、自分が働いて稼いだお金ではなく、「お金が働いて稼いだお金」です。これが複利を味方につけるということの、いちばん分かりやすい姿です。毎月5万円なら同じ条件で4,000万円を超えてきます。派手な一発逆転ではなく、この「時間×複利」の地味な力こそが、土台の上に積む自助努力の正体なのです。
大事なのは順番です。土台のない自助努力は不安定です。たとえば公的年金を軽視して保険料を滞納しながら、NISAで一発逆転を狙う──これは家を建てる前に屋根だけ買うようなものです。まずは一階(公的年金)をしっかり払い、その上で、税制優遇という追い風が吹いているiDeCo・NISAという二階・三階を、無理のない範囲でコツコツ積み上げていく。この「重ねる」という発想が、私が20年の投資経験からたどり着いた最も再現性の高い方法です。
iDeCoは掛金が全額所得控除になり、運用益も非課税、受け取り時にも控除がある。仮に課税所得が高い人なら、掛金が所得控除されるだけで実質的な利回りがかさ上げされます。NISAは2024年から新制度になり、年間最大360万円・生涯1,800万円という非課税枠の中で、運用益が非課税で、しかもいつでも引き出せる柔軟性がある。性格の違うこの二つを、自分のライフステージに合わせて組み合わせる。iDeCoは原則60歳まで引き出せない代わりに節税が強力、NISAは流動性が高く教育費などにも回せる。私は子どもの教育費が重い時期はNISA中心に、それが一段落したらiDeCoの比重を上げる、というように、年齢と家計の状況で配分を動かしてきました。派手さはありませんが、派手さのなさこそが、長く続けられる強さだと私は思っています。
④ 4児の父が直面する「自分の老後」と「子の自立」の両立
ここからは、より個人的な話になります。私は4人の子を持つシングルファーザーです。投資家として、大家として、事業主として20年やってきましたが、家計の現場では常に一つの矛盾と向き合ってきました。それが「自分の老後の準備」と「子どもの自立を支える支出」の両立です。
子育てには、当然お金がかかります。4人分となればなおさらです。教育費、食費、住まい。子ども一人を大学まで育てるのに数千万円かかるという試算もありますが、それが4人分です。目の前の子どもたちの「今」にお金を使えば、その分、自分の「老後」への積み立ては薄くなります。逆に、自分の老後を最優先にして子どもへの支出を絞れば、子どもの可能性を狭めてしまうかもしれない。多くの親が、この綱引きの中で悩んでいるはずです。妻が元気だった頃は二人で支え合えた重みを、今は一人で背負っている。その実感が、私の家計設計の出発点になっています。
私が出した一つの整理は、こうです。「子どものために自分の老後資金を犠牲にしすぎない」。一見、冷たく聞こえるかもしれません。けれど考えてみてください。親が老後に困窮し、子どもに経済的に頼らざるを得なくなったら、それこそ子どもの自立を妨げてしまう。自分の老後を自分で立たせておくことは、実は子どもへの最大の贈り物なのです。「親の介護や生活費で子の人生を縛らない」──これを実現するためにこそ、公的年金とiDeCo・NISAの土台が効いてきます。
具体的に私が実践しているのは、家計を「絶対に止めない最低ライン」と「余力に応じて動かす変動ライン」に分けることです。公的年金の保険料と、iDeCoの最低限の掛金、NISAへの少額の自動積立──ここは何があっても止めない最低ラインに置きました。一方で、子どもの塾や習い事、進学にまつわる大きな支出は、その年その年の家計の体力を見ながら変動させる。こうしておくと、教育費がかさむ年でも、老後の備えが完全にゼロになることはありません。細くてもいいから、土台への積み立ての火を絶やさない。これが4人を育てながら投資を20年続けてこられた、私なりの現実解でした。
だから私は、子どもの教育費にきちんとお金を使いつつも、自分の老後の備えを止めません。両立とは、どちらかを取ることではなく、どちらも細く長く続けることだと考えています。完璧なバランスなどありません。年ごとに比重を調整しながら、ぐらつきつつも倒れない。それが現実の家計というものです。子どもたちには「お父さんは君たちのために使うお金も、自分が君たちに迷惑をかけないための備えも、両方やめないよ」と、折に触れて伝えています。
⑤ お金を残すより「お金の知恵」を残す
さて、このシリーズのタイトルに掲げた問い──「子どもに残すべきは資産か、知恵か」に、正面から答えます。私の答えは、「お金そのものより、お金との付き合い方、つまり知恵を残したい」です。
もちろん、子どもにまとまった資産を残せれば、それは大きな安心になります。否定はしません。けれど、私が20年投資をしてきて、そして大家として、事業主として、お金が増えるところも減るところも数えきれないほど見てきて確信したことがあります。それは──お金は、扱う知恵がない人のもとからは、驚くほど早く流れ去っていくということです。
宝くじの高額当選者がしばしば数年で元の暮らしに戻ってしまうという話を聞いたことがあるでしょう。あれは極端な例ですが、本質を突いています。器が育っていないところに大金を注いでも、こぼれていくだけなのです。逆に、お金の知恵さえ身につけていれば、ゼロからでも資産を立て直すことができる。知恵は減りません。インフレでも目減りしません。相続税もかかりません。そして何より、その知恵は、子どもがまた自分の子へと受け渡していけます。資産は一代で使い果たせば消えますが、知恵は世代を超えて複利のように積み上がっていく。私はそう信じています。
私自身、事業や投資で何度か手痛い目に遭いました。判断を誤って資産を減らした時期もあります。けれど、その都度立て直してこられたのは、お金を扱う知恵──どこで攻め、どこで守り、どこで撤退するかという感覚──が、失敗を通じて自分の中に蓄積されていたからです。もしあの局面で、知恵のないまま大金だけを持っていたら、私はとうに退場していたでしょう。だからこそ、子どもに渡したいのは「魚」そのものではなく「魚の釣り方」なのです。
具体的に、私が子どもたちに残したい「お金の知恵」とは何か。第一に、公的年金のような制度を正しく理解し、煽りに乗らず冷静に判断する力。第二に、土台の上に自助努力を重ねるという発想。そして第三に──これがシリーズで何度も触れてきた、私の根幹にある信条です。「複利を、借り手の側では絶対に敵に回さず、株主の側では必ず味方につける」こと。
⑥ なぜ私は子に投資教育をするのか
私が子どもに投資教育をする理由は、彼らを「お金持ち」にしたいからではありません。彼らを、お金に振り回されない自由な大人にしたいからです。
ここで、私の借金と複利に対するスタンスを、シリーズの結論としてはっきり書いておきます。私は基本的に、借金には慎重な立場です。なぜなら、借金とは「複利を相手側に味方させる」契約だからです。ローンの利息は、複利の力で借り手にのしかかってきます。返済が滞れば滞るほど、複利は容赦なく雪だるま式に膨らみ、借り手を飲み込んでいく。これが「複利を敵に回す」ということの正体です。とりわけリボ払いやカードローンのような高金利の借入は、年15〜18%という利率で複利が借り手を追いかけてきます。年18%なら、借金は複利でおよそ4年で倍に膨らむ計算です。子どもには、この恐ろしさを必ず教えたいと思っています。
ただし──ここが大事なところですが、私は借金を全否定する原理主義者ではありません。借りたお金で、その借入額と借入にかかるコストを上回るリターンを確実に生み出せる見込みがあるなら、融資を取りに行くのは合理的な判断です。大家として物件を持つときも、事業に投じるときも、この一線で判断してきました。たとえば金利2%で借りた資金を、年6%の利回りを生む物件に投じられるなら、その差4%分が自分の取り分として積み上がっていく。借入のコストを上回るリターンが確実に見込めるなら、借金は「複利を味方につけるテコ」にもなり得るのです。借金そのものが善でも悪でもない。問われるのは「複利を、自分の味方につけられるかどうか」だけなのです。
そして複利を味方につける最も王道な方法が、「株主の側に立つこと」です。お金を借りて利息を払う側ではなく、資本を提供してリターンを受け取る側に回る。長期で投資を続け、配当や値上がり益を再投資していけば、今度は複利が自分のために働いてくれます。借り手として敵だった複利が、株主として最強の味方に変わる。この主客の転換こそ、私が子どもたちに何より理解してほしい一点です。利息を「払う人生」から、利益を「受け取る人生」へ。立つ位置を変えるだけで、同じ複利という力が、敵から味方へとひっくり返るのです。
だから私は、子に投資教育をします。難しい銘柄選びのテクニックを教えたいわけではありません。「複利という強大な力は、立つ位置によって敵にも味方にもなる。だから、どちらの側に立つかを自分で選べる人間になりなさい」──そう伝えたいのです。それさえ腹に落ちていれば、たとえ私が残せる資産が多くなくても、彼らは自分の足で資産を築いていけるはずです。実際、私は子どもたちに少額のNISA口座での体験を促し、自分のお金が市場の中でどう動くかを、教科書ではなく実感として味わわせています。値下がりして青ざめる経験も、配当が振り込まれて驚く経験も、すべてが生きた教材です。
まとめ──年金制度が教えてくれたこと
15話にわたって年金を入り口に語ってきましたが、結局のところ、年金制度は私たちに「お金との向き合い方」そのものを教えてくれる、優れた教科書でした。
制度を正しく理解すれば、破綻論にも楽観論にも流されない。公的年金という最強の終身保険を土台に据え、その上にiDeCo・NISAという自助努力を重ねる。自分の老後を自分で立たせることが、結果的に子どもの自立を守る。そして、子どもに残すべきは資産そのものよりも、お金と付き合う知恵である。とりわけ「複利を、借り手では敵にせず、株主では味方につける」という一点を。
もう一度、シリーズ全体の結論を私の言葉で言い直します。年金破綻論を煽る必要はまったくありません。煽りに乗って思考停止するのではなく、制度を正しく理解した上で、自分の足で自助努力を重ねていく。これがいちばん確かな道です。そして借金は、借り手の側では決して複利を敵に回さない。株主の側では必ず複利を味方につける。この二つの構えさえ崩さなければ、相場がどう動こうと、制度がどう改正されようと、自分の家計は自分で守っていけます。これは派手な必勝法ではありませんが、20年の実戦を生き延びてきた私が、確信を持って差し出せる原則です。
妻を亡くし、4人の子を一人で育てる中で、私は何度もお金の不安と向き合ってきました。その中でたどり着いたのが、煽りに乗らず、制度を理解し、土台の上に静かに積み上げていくという、この地味な結論です。派手ではありません。けれど、地に足のついたこの考え方こそが、私が子どもたちに、そしてこの記事を読んでくださったあなたに、最も自信を持って手渡せるものです。いつか私がいなくなっても、子どもたちがこの構えだけは忘れずにいてくれたら──親としてそれ以上に願うことはありません。
長いシリーズに最後までお付き合いいただき、心より感謝します。よろしければ、すべての出発点となった第1話をもう一度読み返してみてください。きっと、最初に読んだときとは違う景色が見えるはずです。シリーズ全体の地図はシリーズ・ハブ記事に、関連する他シリーズとのつながりは統合ハブ記事にまとめてあります。
あなたとあなたの大切な人が、お金に振り回されず、お金を味方につけて生きていけますように。
年金制度から学ぶ資産形成シリーズ・完


